年譜

敬称は省略させていただいています。どうぞご了承下さい。

1949(昭和24)年 5月12日、福岡県大牟田市に萩尾望都(本名)は4人兄弟の二女として生まれる。
荒尾市に引越。
1950(昭和25)年
…1歳
朝鮮戦争勃発。鉄鋼生産に伴う石炭供給源となった大牟田市は朝鮮特需にわきかえる。
労働争議もさかんになり、ホワイトカラーの子とブルーカラーの子がいがみ合うという、騒然とした時代に大牟田で育つことになる。
1951(昭和26)年
…2歳
このからすでに絵を描き始め、豊かな画才を見せ、両親を喜ばせていた。
しかし、幼年期は身体が小さくてよくいじめられた。家では姉や妹と比較され、母に叱られていた。
1956(昭和31)年
…7歳
荒尾第四小学校に入学。その後大牟田の小学校に転校。
1年生の時、鯉のぼりの絵を宿題で描いて、教師に「こんな構図を子供が書けるはずがない」と言われた。
2年生の時、学級文庫が出来る。「ヘレンケラー物語」「アルセーヌ・ルパン」「青い鳥」「一休とんちばなし」「ギリシャ神話」などの児童文学書読みあさる。
また、手塚治虫や石ノ森章太郎、牧美也子などの漫画にも夢中になる。特に手塚治虫の「鉄腕アトム」や「リボンの騎士」などに引き込まれた。スケールの大きさ、登場人物の多彩さ、心理描写の巧みさなどに驚かされる。
自分でも漫画を描き始める。ワラ半紙を16コマに折り、シンデレラ物語のようなものをおとぎ話を描いた。小学校高学年になるとノートに長いストーリーものを描くようになる。頼まれて学級文庫にマンガを描いたりもした。
5年生のとき、校内図書館ができ、SF全集や、オルコット、モンゴメリなどの少女向け文学を読む。
1962(昭和37)年
…13歳
大牟田市内の船津中学校入学。中学2年で大阪府内の吹田第一中学校に転校。
中学になると母親の教育は厳しさを増し、ますます読書やマンガにのめり込む。
このころ、アシモフ「宇宙気流」を読み、SFへの思いを強くする。また、友人に「Please Mr. Postman」のレコードを借り、ビートルズのファンになる。ウォルト・ディズニー作品やTV「ルーシー・ショー」などで欧米文化の影響を受けた。
1965(昭和40)年
…16歳
大阪府内の吹田高校に入学。高校2年で福岡県立大牟田北高校に転校。転校は3回目になる。
高校2年の時、手塚治虫の「新選組」と出会い、「マンガはここまで描けるのか」と衝撃を受け、マンガ家になることを決意する。小学館や講談社の作品公募に投稿を開始し、デビューまでのスケジュールを練った。
アシモフ、クラーク、ハインライン、フレドリック・ブラウンなどのSFを読みふける。
1967(昭和42)年
…18歳
高校卒業後、福岡市内のデザイン専門学校、日本デザイナー学院ファッションデザイン科に入学。
服飾の勉強を続ける一方で、クロッキー・ブックにマンガのストーリーや絵の原案を描きため、作品を『COM』(手塚治虫の虫プロ商事が創刊したマンガ誌。71年休刊)などにに投稿を続けた。
このころは、北杜夫、遠藤周作などを愛読した。
卒業前には東京の出版社から依頼が来るようになり、週末には上京して編集者と会った。編集者の言う「読者の求める少女マンガ」とはギャップを感じることがあったが、自分の思う作品を送り続けた。
1968(昭和43)年
…19歳
『別冊マーガレット』の少女まんがスクールに萩尾望東名義で投稿。5月号で「ミニレディが恋をしたら」が金賞、7月号で「青空と王子さま」が銀賞に入賞した。
1969(昭和44)年
…20歳
福岡時代の作品「ルルとミミ」が『なかよし』夏休み増刊号に掲載されてデビュー。
デザイン専門学校を卒業後、半年間原稿料で資金を貯めてから上京。竹宮惠子と練馬区大泉で2年間の共同生活に入る。いわゆる「大泉サロン」の開設である。
ここにささやななえ、山岸凉子、山田ミネ子、佐藤史生、坂田靖子、故・花郁悠紀子ほか大勢の人間が出入りし、これまで少年マンガより低く扱われ、可愛い女の子の恋への憧れを描いていただけの少女マンガから脱皮をはかる。
このころ、リルケ、ヘッセ、コクトー、ハイネに感銘を受ける。また、レイ・ブラッドベリのSF作品にはまる。
1970(昭和45)年
…21歳
この年、講談社『なかよし』に発表された作品は「ケーキケーキケーキ」など。講談社『少女フレンド』増刊号に「ビアンカ」
1971(昭和46)年
…22歳
講談社から小学館へシフトする。「雪の子」「かわいそうなママ」「精霊狩り」「小夜の縫うゆかた」「秋の旅」などの優れた短篇を『週刊少女コミック』『別冊少女コミック』に次々と発表。他に「11月のギムナジウム」「セーラ・ヒルの聖夜」など、爆発的に発表点数が多いが、これまで描きためておいて未発表のものも多い。
1972(昭和47)年
…23歳
「ポーの一族」シリーズ開始。シリーズ第1作は『別冊少女コミック』3月号に掲載された「すきとおった銀の髪」
以後、シリーズ最終作「エディス」まで5年にわたり断続的に発表された。この作品が爆発的に人気を呼び、マンガ家として不動の地位を築く。
一方で「とってもしあわせモトちゃん」シリーズを連載開始。
SF名作「あそび玉」、「精霊狩り」の続編「ドアの中のわたしのむすこ」などを発表。 この年、初のヨーロッパ旅行。竹宮惠子、増山法恵、山岸凉子と横浜からナホトカまでを船、ハバロフスクまでをシベリア鉄道、それから飛行機という経路でモスクワまでに到着。7~8カ国を巡る。
1973(昭和48)年
…24歳
大泉サロン時代を彷彿とさせる「キャベツ畑の遺産相続人」を発表。 「ポーの一族」シリーズの中でも人気の高い「小鳥の巣」を発表。 この年、イギリスのブライトンに短期語学留学の予定が、結局は9月から翌年の3月まで滞在。この時の模様は「ハローイングランド」に収録されている。
1974(昭和49)年
…25歳
「トーマの心臓」を半年にわたり『週刊少女コミック』に連載。連載開始当初は人気がなかったが、回数が進むに連れ次第に人気を得、最後には絶賛される。
1975(昭和50)年
…26歳
「エヴァンズの遺書」で「ポーの一族」シリーズを再開。以後、次々とシリーズ作品を発表。
初の長編SF作品「11人いる!」を『別冊少女コミック』に発表。
1976(昭和51)年
…27歳
「エディス」で「ポーの一族」の連載を終了。(注:2016年に再開)
「11人いる!」「ポーの一族」で75年度の小学館漫画賞を受賞する。
「アメリカン・パイ」「続・11人いる」を発表。
この年の6月1日~8月31日までフランス(パリ、ルルド)、スペイン(バルセロナ、トレド、マドリッド、グラナダ等)、イギリス(ロンドン、エジンバラ、インバネス)を旅行する。この時の模様は「ヨーロッパみぎひだり」「ヨーロッパ便り」「ドリーム・イン・パリ」に収録されている。
1977(昭和52)年
…28歳
「みずうみ」「霧笛」などブラッドベリ原作のSF短篇を『週刊マーガレット』に発表し始める。
壮大なSF叙事詩「百億の夜と千億の昼」(原作・光瀬龍)を『週刊少年チャンピオン』に連載開始(78年まで)。
小学館から「萩尾望都作品集」刊行開始。
「11人いる!」がNHKの少年ドラマシリーズでドラマ化される。
1978(昭和53)年
…29歳
SF長篇「スターレッド」を『週刊少女コミック』に連載開始(79年まで)。
「ゴールデンライラック」を『別冊少女コミック』に発表。
1979(昭和54)年
…30歳
コクトーの「恐るべき子どもたち」を『月刊セブンティーン』に発表。
この年の7月31日から伊東愛子、花郁悠紀子、佐藤史生、城章子らとヨーロッパへ。イギリスのSF大会に参加する。この時の模様は『奇想天外』12月号に掲載されている。
イギリスの後、ギリシャ、イタリア、エジプト、ドイツ、スイス、オーストリア、フランス、ベルギーを巡る。 更にパリでちばてつや、松本零士らと合流し、松本零士念願のコンコルドで飛び、9月12日からブラジルとペルーを旅行する。その後渡米し、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ラスベガスと巡り、9月30日帰国。このときの模様は「地球魔ゾーンの宇宙人」に収録されている。
1980(昭和55)年
…31歳
「訪問者」を『プチフラワー』に発表。
「メッシュ」シリーズを『プチフラワー』に連載開始(84年まで)。
SF長篇「銀の三角」を『SFマガジン』に連載開始(82年まで)。
「スター・レッド」が第11回星雲賞コミック部門を受賞。
この年、埼玉県西部に現在の自宅を建てる。
1981(昭和56)年
…32歳
SF「A-A'」を発表。
「メッシュ」シリーズでは「春の骨」「モンマルトル」「革命」「ブラン」
1982(昭和57)年
…33歳
「モザイク・ラセン」を『プリンセス』に連載。
「メッシュ」シリーズでは「耳をかたむけて」「千の矢」「苦手な人種」
この年の12月30日、観光で訪れていたモスクワで、乗っていた観光バスがトラックと正面衝突して重傷を負う。
1983(昭和58)年
…34歳
「メッシュ」シリーズ「謝肉祭」を発表。
「城」「4/4カルトカース」などを発表。
「銀の三角」が第14回星雲賞コミック部門を受賞
この年、夢の遊眠社「小指の思い出」を観劇、演劇やバレエへの関心が深くなる。この話は「フィジカル!85」に詳しい。
1984(昭和59)年
…35歳
「半神」「エッグ・スタンド」「X+Y」などを発表。
「シュールな愛のリアルな死」を発表して、「メッシュ」シリーズ完結。 この年の末に甲斐バンドの武道館コンサートを見に行き、公演後に楽屋を訪問。打ち上げに参加し、甲斐よしひろとの交流が始まる。「完全犯罪〈フェアリー〉」に収録された対談に詳しい。
1985(昭和60)年
…36歳
SF大作「マージナル」を『プチフラワー』に連載開始(87年まで)。
「ばらの花びん」ほかを発表。
1986(昭和61)年
…37歳
劇団・夢の遊眠社の戯曲「半神」の脚本を担当。
 
1988(昭和63)年
…39歳
「完全犯罪〈フェアリー〉」発表。一連のダンス・バレエシリーズの開始である。
「フラワー・フェスティバル」連載開始(89年まで)。
1989(平成1)年
…40歳
バレエ・シリーズ「海賊と姫君」「青い鳥」を発表。
SF「海のアリア」を『ASUKA』に連載開始(91年まで)。
1990(平成2)年
…41歳
バレエ・シリーズ「ローマへの道」を隔月で『プチフラワー』に連載。
 
1991(平成3)年
…42歳
バレエ・シリーズ「ロットバルト」「ジュリエットの恋人」「感謝知らずの男」「オオカミと三匹の子ブタ」を発表。
「イグアナの娘」を発表。
1992(平成4)年
…43歳
バレエ・シリーズ「狂おしい月星」発表し、完結。
SFコメディ「あぶない丘の家」を『ASUKA』増刊(現・ファンタジーDX)に連載開始(94年まで)。
サイコ・サスペンス「残酷な神が支配する」を『プチフラワー』に連載開始。
戯曲「斎王夢語」の脚本を手がける。
1994(平成6)年
…45歳
「午後の日差し」「学校へ行くクスリ」を青年誌『ビッグ・ゴールド』に発表。
 
1995(平成7)年
…46歳
絵本「左手のパズル」(イラスト・東逸子)を発表。
 
1997(平成9)年
…48歳
「残酷な神が支配する」第1回手塚治虫文化賞(朝日新聞社主催)優秀賞を受賞。
 
1998(平成10)年
…49歳
2月、バンダイビジュタルより原画・インタビュー映像収録のCD-ROM「sanctus(サンクトゥス)」発売。
 
2001(平成13)年
…52歳
9年の長きにわたり連載を続けて来た最長篇作品「残酷な神が支配する」の連載を終了し、少し充電期間に入る。
2002(平成14)年
…53歳
久しぶりのSF作品「バルバラ異界」連載開始。
 
2005(平成17)年
…56歳
「バルバラ異界」連載終了。
 
2006(平成18)年
…57歳
読み切りシリーズ「ここではないどこか」シリーズを連載開始。
12月「バルバラ異界」が「日本SF大賞」を受賞。
2007(平成19)年
…58歳
2月 作家・松井今朝子さんらとガラパゴス島へ旅行。
 
2008(平成20)年
…59歳
長年ともに暮らしてきた猫たちを主役にした作品「レオくん」を連載開始。
 
2009(平成21)年
…60歳
5月12日 60歳の誕生日を迎える。デビュー40周年の記念すべき年でもある。
6月11日 「萩尾望都先生漫画家生活40周年記念パーティ」が開催され、多くの漫画家、作家、ミュージシャン等が出席する。
7月 奄美大島にて皆既日食を見る。
10月 イタリアのナポリ、ボローニャを訪れ、少女漫画の歴史について講演。
12月 初の大規模原画展「デビュー40周年記念「萩尾望都 原画展」」が開催される。
2010(平成22)年
…61歳
7月23日 サンディエゴ・コミック・コンベンション・インクポット賞を受賞。講演を行う。
9月 アメリカにて短編集「The Drunken Dreams」刊行。
2011(平成23)年
…62歳
4月 初の小説集「音楽の在りて」刊行
5月10日 日本漫画家協会賞 文部科学大臣賞受賞。
5月 女子美術大学アート・デザイン表現学科メディア表現領域の客員教授に就任。
8月 東日本大震災・原発を扱った短編「なのはな」を発表。
2012(平成24)年
…63歳
2月19日 ポンピドゥー文化センターでワークショップと講演会を開催(女子美術大学)
3月16日~17日 パリ国際ブックフェア(サロン・ドゥ・リーヴル)に大江健三郎らとともに招待され、対談と講演会を開催。
5月 紫綬褒章を受章。
7月 パリで開かれたJapan Expoに参加。
8月 初の歴史物「王妃マルゴ」連載開始。
2013(平成25)年
…64歳
4月 小松左京原案「AWAY」連載開始。
7月 SFジェンダー研究会 生涯功労賞を受賞。
2014年(平成26)年
…65歳
1月 「西原理恵子の画力対決」に登壇
8月 「しゃばけ」漫画「うそうそ」を発表。
2015年(平成27)年
…66歳
3月 「銀の船と青い海」出版記念 萩尾望都原画展開催。この後、全国を巡回。
2016年(平成28)年
…67歳
3月 NHK「浦沢直樹の漫勉」に登場。
4月8日~5月29日 「萩尾望都SF原画展」が武蔵野市立吉祥寺美術館で開催。
4月15日 初の原作作品「天使かもしれない」が『月刊YOU』に掲載される。
5月 『月刊flowers』7月号に40年ぶりの「ポーの一族」の続編「春の夢」が掲載され、大きな反響を呼んでマンガ雑誌としては異例の重版となった。
2017年(平成29)年
…67歳
1月 朝日賞受賞