作品目録

カタルシス

 

初出誌
「プチフラワー」1991年11月号(1991.11.1) p7~46(40p)
登場人物
八峰(やつお)ゆうじ:浪人生。
八峰ふみこ:ゆうじの母親。
八峰?:ゆうじの父親。
ともよ:ゆうじのいとこ。大学院で心理学を学んでいる。
塚本:ゆうじのバイト先の喫茶店のマスター。
正田ひとみ:ゆうじの学校の友人。
あらすじ
浪人生のゆうじが突然家出をし、心配した両親は探し回った。予備校に行くと言ってアルバイトをしていたりしていることがわかる。バイト先のマスターの家に泊まっているところをみつかったゆうじは「もうやらない」と言いながら家出を繰り返す。
父親は心配して以前はゆうじと仲の良かった年齢の近い親戚のともよを呼び出し、ゆうじの話を聞いてやって欲しいと頼む。少しずつ話し出すゆうじの口から半年前に亡くなったという「正田ひとみ」という名前が出るが、恋人とか片思いとかという相手ではないと否定する。
果たしてゆうじの望みは何なのか。なぜ家出を繰り返すのか…
コメント
普通の少年が悩む思春期の親子問題のお話。萩尾先生の親子問題をテーマにした作品は「メッシュ」が代表的ですが、その後はなんと言っても有名なのが「イグアナの娘」です。この作品は「イグアナの娘」の少し後に描かれたものです。
ゆうじの「家にいるとロボットのようだ」という状況は見てすぐにわかります。母親は息子が何でも自分の思い通りにならないと気が済まない。それも「子供のため」という錦の御旗の元だから疑いをもたない。父親は母親よりは少し引いているものの、そんな母親を止めることをせず荷担する一方。そんな状況に嫌気が出して家出を繰り返すけれど、他人に迷惑をかけているだけ。
その状況を本人が打開します。ともよは未熟なカウンセラーですが、最後はちゃんと本人にがんばらせた。そして本人ががんばったのは偉いなと思います。しかし男女問わず、親に言いたいことが言えない子供の気持ちというのは私には理解できません。言いたいことを言ってきて、親が自分の行動にとやかく言うなんて絶対にさせなかったものですから…
この作品の大きなポイントは、ゆうじが何も言わないで親にいいなりの自分に気付く、あるいはそれを後悔する(=自我の芽生え)きっかけになったのが「正田ひとみの葬式に行けなかった」ことであって、「正田ひとみの死」ではないところです。彼女が好きだったわけではないけれど、彼女の気持ちを聞かされてお葬式に行かなかったことを悔いる。親に行くなと言われて行かなかったことが原因ですが、親のせいではないのです。高校生の息子がどうしても行くと言ったら親は止める力はないのですから。彼がイヤになっているのは親ではなく、自分自身です。家を出なくてはならないのは、そうしなくては自分が変われないと知っているからです。
人の死にまつわる事柄は人間をとても後悔させます。なぜなら、取り返しがつかないからです。親の死に目に会えなかったとか、葬式に行けなかったとか。特にお葬式は残された人間が気持ちの整理をつけるために行う儀式です。葬式をしないで欲しいと言う人は多いのですが、あなたのためにする儀式じゃないのよ、と言いたいです。
萩尾先生の作品の中でこれだけ普通の少年を主人公に、普遍的なテーマをわかりやすく描いた短篇は貴重な気がします。この作品を「パーフェクトセレクション」の12本の短篇の中に入れているということは、萩尾先生は思い入れがあったのかもしれませんね。
この後、「残酷な神が支配する」に入ります。あの作品も親子の問題を内包している作品です。

2010.8.10

収録書籍
イグアナの娘(プチフラワーコミックス32)

イグアナの娘(プチフラワーコミックス)  小学館 1994.7

イグアナの娘

イグアナの娘 小学館文庫 2000.12.10

萩尾望都パーフェクトセレクション 9 半神

萩尾望都Perfect Selection 9 半神 小学館 2008.3.2

入手しやすい本作品収録の単行本 イグアナの娘 小学館文庫(新版)

イグアナの娘 小学館文庫(新版) 2000.12.10

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参考情報
翻訳:スペイン語
Catarsis

翻訳:イタリア語
Hanshin

オオカミと三匹の子ブタ

狂おしい月星