作品目録

エッグ・スタンド

 

初出誌
「プチフラワー」1984年3月号(1984.3.1) p7~106(100p)
登場人物
ラウル:14~15歳くらいの少年。孤児
ルイーズ:キャバレーの踊り子
マルシャン:レジスタンス活動家
ロゴスキー:親仏派のドイツ人
ドイツ政府高官:ユダヤ人狩りにラウルを利用するドイツ人
あらすじ
第二次世界大戦中、ドイツ軍占領下のパリ。キャバレーで踊っているルイーズは、ある日公園で死体を熱心に見つめる少年と出会う。パンをあげるとアパートまでついて来てしまったため、行くあてのなさそうな少年と暮らしはじめる。
ある日、キャバレーの近くでテロがあり、逃げているうちに二人はレジスタンス活動をしているマルシャンと出会う。親仏派でレジスタンスに情報を流していたドイツ人・ロゴスキーがラウルと一緒にいるのを見たマルシャンは、ルイーズに惹かれる気持ちとラウルを疑う気持ちの両方で、二人のアパートに潜り込み、三人の不思議な同居生活が始まる。
戦時下ながら平和で楽しい日々だったが、ルイーズの部屋に貼ってあったニューヨークの絵葉書が剥がれ落ち、宛先がベルリンであることがマルシャンに見られてしまう。ルイーズはパリ娘ではなかったのだ。そこから三人の運命は少しずつ暗い方へと流れていく…。
コメント
この作品は深く、リアリスティックで、恐ろしく、素晴らしいと思います。「殺人を正当化できるかどうか」という点では「残酷な神が支配する」のテーマにつながっています。また、「愛と殺人とは同じもの」と言い切るラウルが、単なる時代の狂気の落とし子でないことは明らかで、非常に現代的な問題を提示しています。
マルシャンの行為は、時代の狂気を抹殺したというよりは、自分のしていることの本質に気づき始めたラウルを救うためであり、己の存在を救うためでした。この後、無事に逃れられたはずのないルイーズの死すらも中和され、マルシャンのみが苦しみに耐える力をもっていると感じられるエンディングで、相変わらずすごいなと感じました。
「孵化しなかったタマゴ」=「あたため過ぎて死んだヒヨコ」=「愛されすぎて殺されたもの」というモチーフなんですが、作品世界としては実に端的に、そしてグロテスクに表現されていて、それはふさわしいと思います。
しかしながら、「孵化しなかったため、ひよこがグロテスクに黒くなった卵」。これはタイではおやつとして常食されています。ヨーロッパ人はこれを当然のことながら拒絶しますが、アジア人としては、こういうモチーフに使われることに、若干ですが抵抗を感じました。グロテスクであることは間違いないので気にすることはないのですが、ヨーロッパの人ってこうなんだなーと思わざるを得ないという感じです。

1999.2.6

収録書籍
萩尾望都作品集・第二期 第16巻 エッグ・スタンド

萩尾望都作品集・第2期 16 エッグ・スタンド 小学館 1985.1

訪問者


訪問者 小学館文庫(新版) 1995.9

投稿
この作品は、暗く閉ざされています、それは『死』意外に何の救済もないからです。萩尾作品には、時々絶対的絶望が描かれます。これは、その結晶みたいな作品です。
ラウルは、マルシャン、ルイーズとそれぞれ殺人について語りますが、その会話は不毛です。もしラウルが戦争という時代に生まれていなかったら、そして両親の愛に育まれて育っていたら、こんなふうにならなかったのではないかという期待を、作者はあくまで打ち砕きます。
愛されることは、束縛でありそこから逃れるために殺人をおかすとラウルは言い、そして愛を求めながら、それを受け入れることが出来ず殺人をくり返してゆきました。
ラウルの人格は欠落しています。人として存在してはならないと判断したマルシャンのとった行動は果たして正しかったのか?マルシャンもラウルの前では、ただの殺人者に過ぎないのではないでしょうか?
『孵化しなかったタマゴがまちがえられて食卓に出される 死んだヒヨコは黒い』このフレーズとともに描かれた絵は、作品の主題を端的に表しています。絵と言葉というマンガの表現形態が、小説を超えて充分にいかされていて、マンガの可能性を大きく押し上げる作品だと思います。

1999.2.6 長谷部

入手しやすい本作品収録の単行本 訪問者

訪問者 小学館文庫(新版) 1995.9

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参考情報
翻訳:フランス語
Moto Hagio : Anthologie

半神

シュールな愛のリアルな死