2020年2月 9日

「『ポーの一族』と萩尾望都の世界」講演レポート

「『ポーの一族』と萩尾望都の世界」(すみません2ヶ月も放っておきました‥)2019年12月4日(水)から19日に阪急うめだ本店9階うめだギャラリーで「ポーの一族展」が開催されました。初日にはお隣の阪急うめだホールで萩尾先生の講演会も開かれました。「『ポーの一族』と萩尾望都の世界」というタイトルです。壇上には赤いバラが散らばっているという、さすが宝塚のお膝元。萩尾先生はベレー帽をかぶり、膝下丈のスカートをお召しになられていました。

事前に集められた質問から選ばれたものを司会の方がテンポよく発して、どんどん進めていきます。

ぐちゃぐちゃな走り書きと記憶とみなさんのツイートなどから書き起こしてるので漏れがあると思います。ご容赦ください。

Q:先生は福岡のお生まれですが、大阪に引っ越していらしたとのことですが。
A:中学の終わり頃に大阪の吹田市に引っ越してきました、3年半くらいの住んでいたんです。

Q:何回くらい転校されましたか?
A:小学校二つ、中学校二つ、高校を二つ行ってます。あちらこちら引っ越してると思います。

Q:大阪にきたときの印象はどうでしたか?
A:九州の大牟田から引っ越してきたので、都会で洗練されていてカルチャーショックを受けました。すごいなと。吹田はちょっと郊外なのですが、オシャレで。

Q:大阪の思い出は何かありますか?
A:男子生徒が優しくて、大阪の男の子って親切だな、明るいなと。福岡の頃は中学生だから仲間内でつるんでいたのですが、「女なんて」という感じで。九州男児ってそういうところ割と奥手だったりします。

Q:大阪で萩尾先生から見て価値のあるものはなんですか?
A:大阪でやはりすごいなと思ったのは笑いの文化ですね。大阪に住んでいたときは「てなもんや三度笠」(1962~1968。朝日放送)や「スチャラカ社員」(1961~1967。朝日放送。ABCホールにて公開録画)とかやっていて、すごい文化だと思いました。あとはやっぱり「たこやき」ですね。

Q:中学2年生の終わりという多感な時期に大牟田から吹田に引っ越してきて、何か思われたことがありますか?大阪時代のエピソードがあれば教えてください。
A:男の子が親切だなと思いました。私が中学生、弟が小学生だったのですが、あるとき弟の小学校に届け物に行ったら「職員室はどこですか?」と男の子に聞いたら「こっちです」と私のもっていた荷物をパッと持って駆けていくんです。大阪は小学生でもオシャレだと思いました。

Q:大阪は先生の作品に何か影響を及ぼしたものはありますか?
A:私は影響を受けなかったんですが、自分にはギャグとかユーモアのセンスがないので、お笑いの人をすごく尊敬しています。今でも勉強中です。

Q:お笑いで何か漫画を描かれるということはないでしょうか?
A:難しいですね。今後の宿題にします。

Q:漫画家になったきっかけは?
A:手塚治虫先生の「新選組」という作品をお年玉で買ったんですね。そのときの自分の感情とシンクロしたのか、ショックを受けて、私はやっぱりこういう漫画を描く漫画家になりたいなと決心したのです。

Q:先生の「萩尾望都」さんというお名前は本名ですが、ペンネームを考えたことはないですか?
A:自分の名前は堅いので「アケミ」とか「サヤカ」とかでかわいらしい名前をイメージしたのですが、いざま投稿するときに何も思いつかなくて、本名のまま出したんです。そうこうしているうちにデビューの名前になってしまいました。

Q:改名しようとは思わなかったのですか?
A:私、ちょっと物覚えが悪いので改名したらわからなくなっちゃう。

Q:先生はSFをたくさん描かれていますが、実際はどういった生活をされているのですか?どんなふうに一日を過ごされているのですか?
A:火星から帰ってきたりとか、SF的な生活をしていればいいのですが。本当に生活は全然SF的じゃなくて。お昼頃起きて、おにぎりか焼いたトーストを食べて、お茶を飲む。たいてい紅茶を飲んで、それからすぐ仕事にとりかかります。ずーっと仕事をして、6時か7時に夕食を食べます。またずーっと仕事をして、朝の3時くらいに朝刊を読んで寝て、またお昼頃起きてきて、おにぎりかトーストを食べて‥という繰り返しです。時々猫を構います。今は2階に2匹、下に3匹います。なぜ棲み分けしてるかというと、まいちゃんというユニークなかわいい子がいるんです。この子の彼氏がレオくんなんです。レオくんに手を出すのは許さないわ、と他の雌猫を2階に追いやっちゃったんです。姉妹猫なんですが。

Q:まいちゃんはお仕事の邪魔をしませんか?
A:邪魔しに来ます。仕事場にはペンとか墨汁とかカッターとかおいてあるので危なくて。だから全部猫を躾けたのです。「危ないので降りなさい」と言っておろす、のを繰り返しを3日もやれば、みんな覚えるんです。まいちゃんだけは絶対に覚えない。言うことを聞こうとしません。躾けられない猫がいるんだ!とびっくりしました。

「ポーの一族展」
Q:デビュー50周年記念展を大阪で迎えられて、どういったお気持ちですか?
A:大阪はやはり懐かしい街なので、ここで開催できてとても嬉しいです。皆さんたくさん来ていただければ嬉しいなと思います。

Q:エドガーは14歳ですが、なぜ13歳でも15歳でもなく14歳なのですか?
A:まだ大人になってなくて、少年からちょっと抜けている。危うい年代がいいなぁと思ったんですね。13歳だとちょっと子供っぽい。15~16歳だともう大人になることを考えなくてはならないし、ちょっと浮遊感のある年代なので、14歳がちょうどいいかなと思いました。

Q:先生ご自身の14歳はいかがでしたか?
A:大牟田から引っ越しましたからね。どんどんまわりから吸収して、毎日毎日が新鮮だった頃ですね。

Q:エドガーの誕生日は5月12日です。ご自身の誕生日と一緒ですが、なぜこの日にしたのですか?
A:キャラクターがすごく好きだったせいもあるんですが、自分の誕生日と一緒にしておけば忘れないだろうと思って。手抜きですみません。

Q:登場人物の名前をつけるときのこだわりとかはありますか?
A:エドガーという名前と「ポーの一族」という名前は最初につけていました。何故「ポーの一族」かというとエドガー・アラン・ポーが好きだったから。「ポーの一族」って自分でも変だなと思ったんだけど。「父ちゃんのポーが聞える」(1971年公開の日本映画。三島由紀夫原作)なんて映画もあったんですが。でもポーが好きだったので「ポーの一族」にしちゃえと。パートナーの少年の名前を考えるときに、ジョンとかサフィルとかいろいろ考えたんですが、やっぱりアランが残ってるからアランにしちゃえと。

『ポーの一族』と萩尾望都の世界Q:エドガーとアランがたくさん喋ってくれたとおっしゃっていましたが、二人はどのようなことを先生に語りかけてくるのでしょうか?エドガーとアランは先生の頭の中でどんな会話をしているのでしょう?
A:本当に勝手に喋ってくれるんですよ。例えばここら辺(壇上)に二人が向かってきて「なんでここにバラが散ってるの?邪魔だよ」と「何本か持って帰ろうか」とか。全部妄想です。動いてくれるキャラクターなので描いていてとても楽しいです。

Q:エドガーがファルカに「何百年も生きているのに元気だね?」というセリフがあって、確かに元気。普通、人は年を重ねることに元気をなくすというようなところがあるのですが、先生は彼らの日常をどうとらえていらっしゃるのでしょうか?
A:毎日毎日同じことをしていて退屈じゃないのかなぁと私は時々思うのですが、エドガーに聞くとやっぱり時々疲れてるんですね。アランの面倒みたりしてるので。でも何かファルカはまた別の思考回路で生きているらしくて、なんだかいつでも元気なんです。その明るさの訳はこれからファルカを描いていく上で段々知っていこうかなと思います。

Q:いろいろと印象的なセリフがありますが、先生の中ではこのセリフを言うために描こうかなというのはあるのでしょうか?
A:同時進行みたいに、絵を描いてからセリフを書く場合もあるし、このセリフを用意していたのだけど、表情を描いたら別のことを言わせたくなったりすることもあります。わりととっさに出てくるものが多いです。

Q:好きなセリフはありますか?
A:「春の夢」を書いたときに、エドガーが「アランがいないと僕は幽霊になってしまう」と言い、アランが「幽霊には見えないよ」というシーンがあるんですが、そこが好きです。

Q:「ポーの一族」は衣装も美しいのですが、衣装へのこだわりはありますか?
A:私は街に出てもきれい服を見たりするのが好きです。「もう自分で入らない」と言いながら見ています。絵画集などを見ると、古い時代のドレスがたくさん出てきていて、本当にきれいです。この服だったらあのシーンに合うなとか、ついつい考えてしまいます。

Q:先生ご自身も服を選んだりするのはお好きですか?
A:好きですが、コーディネートが苦手なので、何にでも合いそうな洋服を選んでしまってまわりのスタッフから注意を受けます。(今日のお召し物を指して)これはちゃんとコーディネートをしてくれる友達が選んでくれました。

Q:先生の漫画はすごく目が美しいのですが、目には魂を入れようという気持ちで描かれているのですか?
A:漫画のコマは読むときにキャラクターの目線を読者は追っていくのです。その目線がずれていると、キャラクターが何を考えているのか、わからなくなってしまうのです。キャラクターが「おい!」と呼び止めても、その目線があさっての方を向いていると、こちらにいる人を呼び止めているとは思わない。「おい!」という強い呼びかけにならないので、目線がちゃんとコマと一緒に動いているかどうかを注意しています。読み手がコマを外せないようにちゃんと見ていってくれるように、ということを心がけています。

Q:先生の描く「鼻」がすごく素敵だなと思いますが。
A:「花」?
Q:いえ「鼻」の方です(笑)
A:あぁ、鼻ですね。鼻は難しいですね。鼻には鼻の穴もあるし。とても難しいです。この角度だろうか、この高さだろうかと。眉から目から鼻に抜けてのラインがきれいに整うと、よかったと思います。一コマ一コマ苦労しながら描いています。

Q:先生自身を漫画に登場させられたことはあるのでしょうか?ご自分を投影させたようなことは。
A:ギャグ的にコマの外からキャラクターに文句を言ったりしたことはあるんですが、ギャグが苦手なものなのですべってしまってダメです。

Q:「永遠」についてお伺いしたのですが、アランもエドガーはこの先もずっと生き続けると思うのですが、この先どういう展開していくのでしょうか?
A:それは秘密です。企業秘密。でもずっと描こうと思います。(拍手!)

Q:40年ぶりに「ポーの一族」の「春の夢」「ユニコーン」と描かれたのですが、この40年の間、先生はどのようにお考えで「ポーの一族」をご自身の中においてらっしゃったのですか?
A:すごく好きなキャラクターだし、描いてないエピソードもたくさんあるのですが、やっぱり漫画を描いていると、絵が少しずつ変わって行くんですね。これは変化というものは生きている以上避けられないもので、少しずつ変わってしまう。ちょっとお休みして「エディス」のシリーズを描き始めたときも絵が変わっていました。それからまた休んだので、きっとまた絵が変わってしまう。もう昔の絵は描けないから、このお話は自分で描くのは無理だなと思って封印してしまったのです。「もう描かないからごめんね」とドアを閉めてしまったのですが、読者の方の愛着が強くて「続きを描いてください」というお手紙をよくいただくし、お会いすると「続きは描かないのですか?」と聞かれるんです。「ごめんね、ちょっともう絵が変わっちゃったから描けないと思うの。あなたが描いてね」とか言って、丸投げしていたのです。
そのうち夢枕獏さんという方と知り合って、獏さんが「萩尾さん「ポーの一族」の続きって描かないの?僕、続きを読みたいな」って甘えられるんですね。獏さん、甘えるのがうまいんですよ。なんかかわいいなと思って、サービスしたいなと思って「獏さんが読みたいとおっしゃるなら、そのうち描くかもしれませんよ」ってリップサービスで言ったんですよ。そうしたら会う度に「いつ描くのかな?」と。「しまった」と(笑)。

それであるとき『フラワーズ』という雑誌で『フラワーズ』のタイトルになって何年か(注:15周年)の記念号に編集が「萩尾さん、読み切り描きませんか?」と言ってきて、じゃあ獏さんが読みたいなと言ったから、ほんのちょっとした短編で「ポーの一族」を描こうかなと。1本描けば、獏さんに「1本描いてみました」と言えるし。それで済むかなと思ったのです。

「16枚でお願いします」と言って話を作り始めたら、あっという間に話が大きくなっていって、足りない。編集さんに「すみません、20枚でお願いします」「24枚でお願いします」「32枚で」「40枚で」となって40枚でも足りない。「すみません、連載でお願いします」いや本当に焦りました。

続きはまた今度描きますからと言ってとりあえず1回目という形で発表しました。なぜそんなに話が広がったかというと「16枚で描きますからいいですか?」と楽屋(先生の脳内?)で待機中のエドガーとアランに聞いてみたら「うん。いいよ。ここにずっといたよ。どこいってたの?」という感じで。お喋りが始まってしまって、それで16枚で描ききれないなと。描きながらエドガーとアランに申し訳なくて。こんなに待っていてくれたのか、ごめんねという感じで、久しぶりに我が子と出会えた母のようでした。彼らのお喋りが続く限り描いていこうと思いました。こんなことってあるんですね。

Q:エドガーとアランはずっと先生に40年間寄り添ってきたのですね。
A:こんなに活力のある、エネルギッシュなキャラクターとは自分でも思いませんでした。以前と同じように描けるし。もちろん絵が変わったから、顔は変わってしまいました。仕事場で顔を描いていると、山口百恵さんの「イミテーションゴールド」という歌の歌詞が「顔が違う、髪が違う。去年の彼とまた比べている」というものなのですが、アシスタントが歌うんですよ。「顔が違う、髪が違う」って。そんな仕事場です。

Q:40年ってとっても長いですよね。読者の皆さんがどう感じられるか不安はなかったでしょうか?
A:ものすごい不安でした。ただ、お話いただいた頃、65歳くらいだったんですね。このまま一生描かないか、もし描くとしたら、読み切りを依頼された今。これはいい区切りかもしれない。読者を失望させてしまうかもしれない。でも、ごめんね、もう60過ぎてるから許してと。人生残り少ないからもう描いちゃえと吹っ切って描いたんです。

Q:宝塚で舞台化されたのは去年だったのですが、舞台化するにあたって、先生も読者の皆さんも思っているイメージと違うのではないかという不安や期待があったのだと思いますが、小池先生からどのようなお話があったのでしょうか?
A:小池先生は昔から「ポーの一族」をいつか舞台化したいということをずっとおっしゃっていたんですね。私は小池先生の舞台がすごく好きで、とっても文学的でセンスがいいんですね。ですからやってくださるのであれば、是非お願いしますとずっと言っていたんです。そうしたら「エドガーみたいな子を見つけた」とおっしゃって、著作権もあるので小学館との話もバタバタと進んでいく一方で、私がたまたま読み切りに「ポーの一族」を描こうとしたところでした。別方向で進んでいた話がちょうど一致したのです。物事がうまく重なるときには、こんなふうに相乗効果で進んでいくのかなとびっくりしました。
そして明日海さんがプレゼンテーションの段階から本当にエドガーみたいで、膝から崩れ落ちそうでした。「すごい!エドガーが目の前に!嘘!」と。

Q:ご自身の宝塚観劇はいつが初めてですか?
A:高校2年生のときに母と一緒に宝塚に観に行った「霧深きエルベのほとり」です。大阪に住んでいたのですが、当時大阪では日曜日に宝塚の放送をやるチャンネルがあったんですね。そこでいろいろな宝塚番組をやっていて、私の母は「テレビなんか大嫌い」と言って、ほとんどテレビ見せてくれていなかったのですが、宝塚チャンネルは母は積極的に見ていて、私もちょっと便乗して見ることができました。華やかな世界だなと思っていたのですが、実際に宝塚に行ったときちょうど卒業式のシーズンだったのか、袴姿の美しい人たちが校門を歩いていました。世の中にはこんな美しい人たちがいて、こんな美しい世界があるのかと本当にびっくりしました。

Q:今回の展示でも宝塚の衣装が展示されています。
A:小池先生のこだわりだと思います。髪の色、衣装、背景の階段、カーテン‥原作のイメージを本当によく生かしてくださって、感謝感激です。小池先生に足を向けて寝られません。
音楽も素晴らしくて、自分の書いたセリフがあんなふうに歌になっているだけでも感激でした。舞台を観た後にエドガーを描くとき明日海さんが目の前に浮かんできます。すごい舞台から影響を受けました。明日海さんとれいちゃんが近くにいるような気がします。
ポーの一族 ユニコーン
宝塚のエドガーとアラン
「ユニコーン」の表紙をカラーで描いたときは、舞台を観た直後だったものですから、エドガーとアランがゴンドラに乗って去って行くシーンで、最後にアランがエドガーに背中にもたれて肩に手をかけている。あのシーンが描きたくて。描いてみたら、アランが「エドガーは僕のものだ、誰にもやらないぞ」という顔をしているんですね。それをうちのスタッフが「そんなふうなことを言ってる目つきをしている」と「娼婦アラン」と呼んでいます。

春の夢 表紙 青のバラQ:皆様からの質問をお読みします。「ポーの一族」が再開されたときに発表された、今では「青のエドガー」と呼ばれる雑誌の表紙にもなったイラストですが(※「青いバラ」の間違いでは?)、エドガーがセーラー服を着ていて新鮮で衝撃的でした。セーラー服の着想はどこからきたのでしょうか?
A:セーラー服はウィーン少年合唱団が着ているのですが、セーラー服で並んでいるのがとてもかわいらしい。昔から、肩のこちらからこう振り向いてセーラー服がのラインがきれいに見えるポーズを描きたいなと思っていたのですがうまくかけなくて、何度も描いては失敗していました。「ポーの一族」の再開にあたって、あのとき失敗したものをもう一度試してみようと思って描いたのが、あのエドガーのセーラー服です。

Q:「ポーの一族」は人気の名作ですから、映画化や舞台化など数多くのオファーがあったと思いますが、宝塚歌劇で舞台化されるまでのエピソードをお聞かせください。
A:小池先生が「エドガーを見つけた」と言ったときに決まったみたいです。マスコミを集めて(制作発表)、衣装をつけて明日海さんとれいちゃんと仙名さんがエドガー、アラン、シーラになって登場するのですが「ここはどこなの?別世界なの?」という感じ。絵が立ち上がってくるようで逆に怖いです。ここにいていいんでしょうか?ちょっと逃げたいと。本当にすごかったです。小池先生が「これでなきゃダメだ」というこだわりみたいなものでつくられたんでしょうね。舞台も素晴らしかったし。

Q:大老(キング)ポーも凄かったです。
A:立派でした。お友達と「ポーの一族」を観にいったのですが、ヤマザキマリさんが見終わったあと感想を一言「私、大老(キング)ポーをやりたいわ」と。

Q:花組公演の感想をお聞きしたいです。明日海りおさんと柚香光さんなどキャストはいかがですか?
A:れいちゃんはわりとダンディでごつい男役のイメージだったのですが、ものすごく繊細さが出ていてそれがアランにとてもよく似合っていて、うまいんだなぁと思いました。すごくエドガーを慕っているかわいらしさがよく出ていました。それをエドガーが自分の仲間にしようとして「なんでアランを選んだんだ」ってお父さんに言われたときに「純粋でけがれていないんだ」と答えるシーンがあるんですね。私はこのセリフにすごく感激して、「そうか。アランはわがままだけど、純粋でけがれていないのか」と。ちょくちょく使わせていただいています。

すきとおった銀の髪Q:エドガー、アラン、メリーベルの衣装はどこから出てきているのですか?
A:「コスチュームの歴史」という本があるのですが、ナポレオンがヨーロッパを支配していた頃、エジプト・ギリシャまで行って戻ってきたときに、切り替えがバストのすぐ下にあって、ストーンとしたスタイルのドレスをもって帰るんですね。名前が「エンパイヤスタイル」、皇帝スタイルというのですが。スカートでふわっとしたのがなくなって、ウエストでキュ-っと締め付けたもの、スレンダーなスタイルが流行るんですね。これが皇后ジョセフィーヌなんかが着ているのですが、ちょっと透けた感じもあってとってもきれいなんですよ。メリーベルにこれを着せたいと思いました。「すきとおった銀の髪」という短編を描いたときにはひたすらこれを着せるために描いたようなものです。

ポーの一族のシーラ夫人エドガーとアランが出会う1872年の頃は半ズボンやウエストにベルトが入ったようなブレザー風の服だったり、今の服とはずいぶん違うところがおもしろいです。ブラウスやリボンもとってもかわいらしいですね。キャラクターはそういう衣装を着せる着せ替え人形という感じです。ふわっとなって、ドレープにきれいに広がって。すっと立つような感じがとてもきれいでシーラ夫人に着せました。着るものからシーンを考えたりします。

男性の服装もおもしろいです。ネクタイの歴史だけ見ていても、19世紀に入ってからすごく変遷があります。ブレザーのボタンの停める位置が微妙に変わっていったり、フロックコートの長さが変わっていったりします。こんな格好で馬車に乗ったり汽車に乗ったりしていたのかと思うといろいろおもしろいです。男の人にはオペラシューズというオペラ座にいくためにちょっと履くスリッパのようなシューズがあって、なんかそれがオシャレだなと思って。オシャレできれいなものがすごく好きです。汚いものも描きますが、美しいものも好きです。

Q:宝塚公演後、エドガーは明日海りおさんに、アランは柚香さんにお顔が似てきたように思われるのですが、先生ご自身は舞台に影響を受けたなと思われることはありますでしょうか?
A:あれだけのインパクトのある舞台を観てしまったら、やっぱり肩に手をやってしまう‥。影響は受けました。

Q;2018年、「ポーの一族」と「ベルばら」がリンクして、ジェローデルがポーの村の住民になっていたことがありました。今後「ポー」のシリーズにワンシーンでもジェローデルが登場することがありますか?もしあったら嬉しいです。
A:本当にあれはびっくりしました。理代子先生からご連絡があって「ジェローデルがポーの村に行った話を描きたいのだけど、いいかしら?」と。「ベルサイユのばら」のファンあっていうのは、私の百倍くらいいるんですよ。「もう是非お使いください。」これでちょっと売れるかな?とか(笑)。それでどんなふうになるんだろうと思ったら、ちゃんとエドガーとアランも出てきて、ジェローデルがそこで吸血鬼にっちゃうんですよ。ジェローデルは今後何百年も生きて歴史を見ていくんだなぁと続きが楽しみって感じです。それを読んだ宝塚の小池先生が「萩尾さん、池田さんの漫画見た?萩尾さんも描いてよ」「何を描くんですか?」「エドガーとアランが革命のパリに行って、マリー・アントワネットを救う話を」と言われました。小池先生の中でもいろいろな妄想が広がってるみたいです。

Q:仕事で悩んでいます。萩尾先生は漫画家をやめたいと思ったことはありますか?もしあればどのように乗り越えられたか教えてください。
A:実は私、デビューの時からほとんど徹夜はしない。することもあるんですけど、体力がもたないのでとにかく必ず寝てしまう。だんだん疲労が蓄積されて一定のところまでいくと、パタっと仕事に対する情熱が失われてしまいます。これは身体が休めって言ってるんですね。そういうときは「あぁもうなんか考えつかない。休みたい」「あぁ疲れてるのね」とだいたい4年に1回くらいなります。そういうときはあまり無理しないで旅行に行ってしまったり、2~3ヶ月休んでしまったりするんです。
「私、漫画家って続けられるのかなぁ」「人気ないし、暗いし、地味だし」とかどんどん自虐的になっていくのですが、休んでいるとよくしたもので「地味で暗いけど、また描くか」という感じで復活できるんです。

Q:先生のストレス解消法とかリフレッシュ方法とかありますか?
A:短期間のリフレッシュ方法は旅行へ行くとか、映画を観るとか、美術館に行くとか。特に美術館はいいですね。音楽会に行ったりとか、バレエも。そういう元気をもらえるような場所に行って、リフレッシュをして、また仕事の意欲に変換していきます。

Q:漫画家になっていなかったら、他になりたい職業はありましたか?
A:私、結構針仕事が好きなので、服のデザインを勉強する学校に通っていたのです。そこで初めてドレスというかワンピースをつくりました。そのときにチクチク縫うのは全然苦じゃなかったので、漫画家になれなかったら、裾かがりをしようと思っていたのです。最近、歯医者さんに行くようになりました。この頃は入れ歯の技術とかすごいですね。工房で入れ歯の色とかをこんなふうなセットでつくりますか?と見せてもらうんです。それがまた美しいんですよ。歯をつくる人になっていたと思います。影響されやすいんです。

Q:先生の作品で歌が出てくるところがたくさんあるのですが、今までの人生の中で一番好きな歌や影響を受けた歌があったら教えてください。
A:マザーグースの歌、日本のものだと万葉集、古今和歌集。斎藤茂吉さんの「万葉秀歌」をよく旅行に持っていってパラパラめくっているのですが、とても美しいですね。額田王の"あかねさすむらさきのゆき"とかも何のことかな?きれいと思っていたら、これが宝塚の舞台になって、やっとわかりました。

Q:長いブランクを経て「ポーの一族」を再び描かれるにあたって、同じキャラクターを描くにあたって何か工夫されたとか、苦労されたこととかありますか?
A:先ほども申しました通り、同じ顔が描けないということが本当に苦労したことですね。スタッフに「エドガーを描いたつもりだけど見える?」と聞くと「鼻が長すぎる」とか厳しいチェックが入るんですね。横向きの顔を描くと「萩尾さん、この鼻低すぎる」「はい!すいません。高くします」みんなで協力して描いています。

Q:これから何か描いていきたいなとか、大阪の話とかありませんか?
A:私、わりと日本ものが苦手で。大阪と言えばやっぱり「笑い」だから、「笑い」を題材としたものをちゃんと描かなきゃいけないけど、ギャグセンスがないから、そこは本当に難しいなと。きっと西原さんなんかバチっと描くんじゃないかと思うんですけどね。クリヤしなければならないレベルが高そうで、ものすごい暗いものなら描けるんですが。

Q:「ポーの一族」がこの後どうなるのかなという質問がすごく多かったのですが。
A:なんとか二人に幸せになって欲しい。新キャラもどんどん出てきて、話が重層的になってきた分、これが破綻しないようにいかにまとめるかという。風呂敷を広げすぎてまとまらなかったらどうしようとか、思ってます。

Q:最後になりましたが、今回の「ポーの一族展」大阪展の見所や是非見てもらいたいポイントとかありますか?
A:東京展でもあったのですが、大阪展も同じように、入口を入ったら窓のカーテンが揺れていて、雰囲気というかその世界に入りやすいつくりになっていて、そのまますっと「ポーの一族」の世界に入っていけると思うので、そこを楽しんでいただきたい。中には明日海さんたちが着ていた宝塚の衣装が出てくるので、気持ちがワクワクしてしまいますね。「ポーの一族」の他に誰が描いたの?というような初期の作品もあります。昔のカラーなんかはツッコミ入れながら見てください。下手でも描き続けていれば、成長するんだなということを感じていただければと思います。長い年月が経って絵が変わっていますが、人は生きていたら変わって行くものなので、仕方がないかなと思ってくだされば。
はっと振り返ると50周年という感じ。まだ出版や漫画という文化が日本にあってよかった。体力の続く限り描いていきたいと思います。

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