高崎での萩尾望都先生と浦沢直樹先生の対談レポート
2018年8月4日に高崎シティギャラリーで開催された「萩尾望都トークショー」のレポートです。ゲストは浦沢直樹先生。お二人はNHKの「漫勉」で対談されました。高崎駅から徒歩12分くらい。この日はお祭りで、出店の準備中の道を歩いて会場までいきました。
記憶に残っている萩尾先生の発言を中心に書いていきます。
会場:高崎シティギャラリー コアホール(群馬県高崎市高松町35-1)
●プレゼント交換
まず、プレゼント交換。萩尾先生から浦沢先生へ「ポーの一族」のDVDが贈られます。浦沢先生、宝塚をご観になったことがないそうです。浦沢先生「ポーの一族」のDVD、観て下さったかなぁ?浦沢先生は萩尾先生へ「マノン」というご自身のセカンドアルバムのCDを贈られていました。
●萩尾先生のSF原画展開催の経緯と感想
萩尾先生「写真スポットとかの仕掛けがしてあって驚いた。シルクスクリーン(私はタペストリーと呼んでます)がたくさんあり、自分の絵が拡大されていてちょっと恥ずかしかったけれど、きれいで見応えがあった。原画展とアミューズメントパークが一緒になっているようで、とても楽しい。」
●印刷考えてないで塗ってる原画
司会者から原画展の感想を聞かれた浦沢先生ですが、萩尾先生が印刷のこと気にしないで塗ってることを突っ込みます。浦沢先生は描いてもどうせ印刷には出ないからこの辺までと思って止めているけれど、萩尾先生の絵は明らかに印刷のこと考えてない。萩尾先生のよく使うグリーンがかった青、ああいうのは絶対出ないんだそうです。その青はルマカラーの青というかアクアマリンとのこと。確かに青は印刷に出ないので版下に青鉛筆で印刷所に指示を書いたりします。
また、萩尾先生の原画にはちょっと銀が入ってるところもあるけれど、あれも出ないと。普段印刷物として接している萩尾先生の絵は氷山の一角だったんだなということが今回の原画を見てわかった。でも、いつも色校のときとか文句言わないのか?と疑問を。
それに対して萩尾先生は基本出ないと思っているから印刷に文句を言ったりしない。その理由は、あるときマチスの画集を買って美術館で見た自分の好きな絵を見たら全然違う。美術画集でさえ出ないのだから、マンガでは無理だと思ったから。また、デビューの時から絵が下手だという自覚があって、頭の中で考えているものを画面にうまく描けないとずっと思っていた。もっと勉強しなきゃという気持ちがあって、下手に注文つけたら下手なくせに何を言ってると言われそうで。それもあってちょっと言えない、と。萩尾先生が下手だから文句言えないなんて、誰も文句言えなくなりますよね。
●電子配信について
萩尾先生は電子書籍を許可していますが、「暇とお金があれば紙で見て欲しい」そうです。「本は手にもって開く加減がある。めくるだろうというタイミングを考えてコマ割りをする。電子配信だとタブレットの種類によるけれど、見開きがいっぺん目に入ってくる。本だと見開いたこちらの端から目が追っていく。いきなり目が画面全体を見るというのは感覚が違うだろうと。ただ、全100巻の単行本なんて海外旅行にもっていけないし、海外に住む人が急に読みたいと思っても手に入るまで時間がかかる。電子配信だったら簡単に手に入る。どんなにコレクションを集めても図書室いっぱいにはならない。そこは便利だなと思う。タブレットは電源が必要なので、タブレットをもって行って電源(充電用のコード)を忘れたこともある。」両方の良いところをしっかりご理解されていて、作家としてはやはり「紙で読むリズム」を重視していると。これっておそらくやろうと思えばアプリで解決できるんですよね。
●絵の変遷について
浦沢先生はこの原画展を見ていると萩尾先生に絵の移り変わりがあることがわかる。少女マンガ系からリアルに移り変わっている。「A-A'」の頃は青年誌系というか、少女マンガを脱している絵だ。どういうモードでこの絵が移り変わっているのかなというのは興味がある、と。それに対し萩尾先生は「それは単に歳をとったから。少女感覚から自分が遠ざかっていくのがわかる。30前後くらいで一回切り返しがくる。」と。浦沢先生は「A-A'」が好きだそうです。
●手塚治虫「新選組」の衝撃
萩尾先生と言えば手塚治虫「新選組」。この話を浦沢先生がふりました。
「高校生の頃、少年マンガも少女マンガも手に入る限りのマンガを貸本屋さんなどで読んでいた。でも両方あれば少女誌の方から手にとってしまう。手塚先生の「新選組」が単行本になって書店に並んでいたので、いつか買って読みたいなと思ってお年玉をもらった高校2年のお正月に読んだ。主人公は丘十郎という名前で親の敵を討つために強くなろうと新選組に入って、新選組の思想に染まりながら強くなっていく。丘十郎には大作という親友ができるが、彼が敵方のスパイだった。丘十郎は彼をスパイとして告発して切らなければならないと追い詰められていく。そのときの心境に何故かものすごくシンクロしてしまった。丘十郎は大作を切りに行くとき、二言しか言ってない「大作、許してくれ」。でも私がそのシーンを思い出す時、山のようにセリフが出てくる。でもそんなこと全然書いてなくて2行だけだった。
「新選組」は手塚先生の作品の中では特に有名でも特に名作という作品ではない。多分その当時の私の心境に何故かぴったりフィットしてしまった。一気に引きずられてしまって、それまで遊びでマンガを描いていたりしていたけど、ちゃんとプロになってこの「新選組」で受けた衝撃を誰かに返したいと思った。人間の心理がここまで深く描けるんだなと。深い心理を2行で描く手塚先生はすごい。
手塚先生は葛藤を描くのが得意。全体のテーマになっているところがある。「鉄腕アトム」は人間とロボットの間に立ち、どちらからも引っ張られてる。時代劇なら幕末明治維新で二つの時代に挟まれて死んでいく者と生き残る者がいる葛藤を描く。勧善懲悪ではなく、わかりやすく少ない言葉で葛藤を描いている。世の中には二つでは割りきれない、曖昧なものがあるということがわかっていらしたのかなと思う。」
●萩尾先生の絵の描写について
浦沢先生によると、年々萩尾先生の絵が鬼気迫る感じになっている。それは目の下の線のせいかもしれない。目の上のまつげは少女マンガはきれいに描くのだけど、三日ぐらい寝てないんじゃないかというような、目の下になんとも言えない焦燥感というか泣きはらしたような線がある、と。「自分の絵でもそれを最近使うようになった。あの目の下の描き方は萩尾節なんじゃないかと思う。」
萩尾先生も「昔は下の線をあまり描かず上だけだったけれど、下のラインを入れてみると、表情に味が出てくる。」と同意。
「だんだん歳をとると握力が弱くなってくる。そうなると昔は簡単に引けた線が、ある時あっちに行ったりこっちに行ったり、さまよい始める。一発で引けたのが4回くらい引かないとならない。これは筋力のせいなんだけれど、頭の問題でもある。「はい、まっすぐの線を引く」とか頭に言い聞かせながら引いている。若い頃、指の関節に脳があるんじゃないかというくらい、考えなくても引けた時期がある。ところが歳をとってくると、やっぱり関節の脳が干上がってくる、動かなくなってくる。頭の方をの脳に頼るようになってくると、距離があるのでなかなか思うような線が引けない。今はそれで四苦八苦している。」
●萩尾先生と浦沢先生の出会い
浦沢先生がが一番最初に萩尾先生をお見かけしたのが、手塚先生をお見かけした小学館のパーティで、同じ時だったそうです。デビュー1年目でまだまったく無名の新人だった浦沢先生が編集者と一緒にパーティー会場の中に入ったら、手塚先生がすっと近づいてきた。浦沢先生の担当編集者は有名な長崎尚志さんでしたが、長崎さんは直前まで手塚先生の担当だったため、彼の姿を見るや「すぐ帰るから」と言って逃げた。長崎さんはもう担当じゃないのに。本当は手塚先生にご挨拶したかったのに、逃げてしまったから挨拶できなかった。そして生の手塚先生を見たのはそれ1回こっきり。
そこにはキラ星のごとくマンガ家の先生がいらしてクラクラしてしまったので外れたところの椅子に座っていたら、向こうの方から萩尾先生が黒いマントみたいなものを着て、ふわーっと風を起こしながら自分の目の前を通り過ぎていった。その後、ファンの一団が「モー様、モー様、モー様」といいながらついていってて。すごいなマンガ界ってと思った。自分にとってマンガ界のきらびやかな感じってイコール萩尾望都先生。すごいカッコイイものを見てしまったなと。(浦沢先生、それファンじゃなくて、若い女性漫画家たちだと私は思います。いや、ファンで間違いはないのですが)。
●「漫勉」の話
浦沢先生「「漫勉」に登場した萩尾先生の仕事場の様子にショックを受けた視聴者がいる。萩尾先生の作風からすると、もっときれいなお城みたいなところでロココな感じで仕事されてるのかと思ってたようだ」と。萩尾先生は「片付けてあんな感じ。今はもっと凄いことになっている。どんどん山積みになっていて下の方が取れない。どうしてこうなっちゃったんだろうと思いながら、また前に積むという状態。」
●「百億の昼と千億の夜」のネーム
萩尾先生「この展示をするにあたって、河出書房新社の編集者・穴沢さんががうちからいろいろな原稿をもっていった。自分でも忘れているようなものを発掘してくれて、「百億の昼と千億の夜」のネームが見つかった。見つかるまでそれがあることを忘れていた、あれはちょっとおもしろかった。
『少年チャンピオン』の連載だったが、最初から完成したら単行本にすることが決まっていて、描く前からページ数が決まっていた。光瀬先生のSFの原作を400枚に収めましょうと連載前に全部ネームを起こした。収まるかなと思って小さめに描き始めたら、そのままネームになった。お話の醍醐味はもっと波瀾万丈な小説の方を読んで味わって欲しい。
いろいろな仏像がでてくるので、取材のために奈良と京都をぐるっと回ってきた。今はケースに入れられている興福寺の阿修羅像がまだ何もなくぽんとおかれていたので、ぐるっと一周して見ることが出来た。きれいだなと。楽しかった。
〔原画展で展示されている阿修羅王の墨画の話〕画板にどんなふうに墨がのるか確かめたくて、実験で描いた(遊びでと言いかけて言い直されました笑)。大きな絵が描きたくなる。大きな画面で絵を描くときのおもしろさというのは、画板が大きくなると全身で描くところ。上から見たり下から見たりする。」
●「A-A'」
「「A-A'」は最初ネームに手こずった。ストーリーは出来ていたけど、どういうエピソードの順番で描こうかとなかなか決まらなくて。普段はネームが出来て絵に入るが、絵に入ってから細々とネームを直しながら描いた作品。絵を描き出してから、表情を見て、この人こんなこと考えていたのかとわかるときがある。そういうときはしまったと思う。
●宇宙空間について
萩尾先生「どうしたら宇宙空間を描けるかなと考えた。夜の暗い空にベタを塗ってホワイトを飛ばせば宇宙空間になるはずなのだけど、単にそれを描いてもただの虫食いやテーブルにキノコが散った後のようになってしまう。奥行きとか、奥行きの向こうは何万光年ある、とかいうのをちょっと出さないといけないので、ないはずの風を流してみたり、グラデーション流してみたり。そうしたら最近宇宙空間のことがわかってきた。ダークマターとかいろいろ。だから電波の数字がここに現れていることにしようと思って描いている。
宇宙理論的なことはとても難しいのですぐ忘れてしまい、単にイメージになってしまう。ビッグバンの話だって何とか理解したくて結構本を読んだけれど、理解できない。何にもないところから、なんでうまれるの?とか。」
●レイ・ブラッドベリ
お二人ともレイ・ブラッドベリはお好きなようです。
浦沢先生「レイ・ブラッドベリは宇宙を扱った小説でありながら、すごく文学的。最初の1~2ページ続く空間描写があるけれど、あの感じの積み上げで文学性がある。地球上のことのようにSFを書く。そういうところに萩尾さんと共通性がある。ブラッドベリの感じを損なうことなくマンガ化されている。」
萩尾先生は「ブラッドベリは本当に好き。二十歳ちょっと前ぐらいに本屋さんで偶然見つけた。「10月はたそがれの国」「ウは宇宙船のウ」と2冊出ていたので、その日は1冊だけ買った。一晩で読んでしまったので、翌朝すぐに残りの1冊を買いに行きました。どっぷりブラッドベリにひたってしまう。文脈が美しい。
ブラッドベリは子供の話が多い。少年が大人になる話や少年がどこかに行く話。大人の人も微妙に少年時代を引きずっているような不思議なところがあったりする。子供が周辺の世界に対してもっている不安や謎を一人のキャラクターに集約していく。よくできた優等生みたいな子がみんな不安がっている。そこが好き。
ブラッドベリの小説でリリックな作品の他に、怖いものがあったりする。カタコンペの中に入っちゃう話とか(「10月はたそがれの国」から「次の番」)、お祭りのドクロに追っかけられる話とか。読んだときはものすごく怖くて、ちょっとついて行けなかった。考えてみたらこの両方があるからバランスが取れているのかなと思った。」
●「MONSTER」
萩尾先生「「MONSTER」のヨハンが気になって。あんな人いちゃいけないんだけど、不思議な人。」
浦沢先生「一番最初にドクター・テンマと出会ったときにヨハンが人を撃つシーンがある。衝撃的に描けたと思ったけれど、ずっとこんなことやっていたら、読者に愛情をもって接してもらえる人にならない気がして。そこで彼は人を操る男にしようと思った。マインドコントロールして、コントロールされた人が操る。自分で実力を行使して人を殺めたのはあの最初の1回だけなんです。あとは全部人にやらせてる。
「A-A'」のアディはヨハンに近い。一角獣種は感情がないのですが、あの感じはちょっとヨハンです。最後にアディが感情のない状態ですっと涙が出る。ああいうのに自分は弱い。」
萩尾先生「発達障害とかまだ知られていない頃だけど、私も結構何考えているかわからないとか、いろいろ言われて。「あんた平気なんでしょ?」と言われて「いや結構傷ついてるんだけど」と。それで平気なんだけど、傷ついてる子を描こうと思った。のが「A-A'」。」
●「スター・レッド」
浦沢先生が「スター・レッド」はウルトラマンとは関係ないのかと質問されます。
萩尾先生は写し出されたスター・レッドのセイの画像を見ながら、「言われてみれば赤と白で同じ。ウルトラマンはほとんど見たことないが、テレビのコマーシャルに時々出てくるのでウルトラマンというものがあるということは知っている。あのシャープなデザインはいいと思う。何か影響は出てるのかもしれませんが、あまり関係はない」と。
浦沢先生はその赤白の話から、マンガは白黒なんだけども、萩尾先生はいつもカラーで考えているような気がする、と。
萩尾先生は同意して、「部分部分はそういうイメージはある。結局活版で描くから線で描いてきれいに見えるように描いている。でも「ポーの一族」などはイメージが先行する作品だから、色つけるとしたらこんな感じかなというのは最初はあった。ネームの段階からもう総天然色。ぼけているようなブルーをどのくらいの粉のペンで動かしていくとか、そんなふうに考えながら描いている」と。
●コマの使い方・画面構成
司会の飯田耕一郎先生がマンガの専門学校の先生なので、画面構成の講義に入ります。
「萩尾先生の「ママレードちゃん」の最初のページ。コマの流れがすごくよく出来ている。最初にドンとぶつかる。次にオレンジが散って、それが転がっていくという流れになる。普通ならぶつかってコマが展開するときに横長にオレンジが転がるというように描くが、萩尾先生は突然縦長のコマでどんとスピード感を出して下まで流れるように描く。そこからヒーロー役のジェフが出てきて、後ろのヒロインの顔が出てくるという画面構成。ぶつかる→オレンジが飛び散るコマはまわりをベタにして、1回コマを止める。そこからオレンジが縦長のコマで流れるのはインパクトがある。コマのセリフの流れでキャラクターが登場し、最初のページで主なキャラクターを紹介している。