北九州国際会議場で行われた萩尾望都トークショー&萩尾望都×松本零士対談のレポートです。
2018年3月17日、萩尾望都SF原画展 福岡会場のオープンを記念して、萩尾望都×松本零士トークショーが開催されました。第一部は萩尾望都トークショーで、第二部が萩尾望都×松本零士対談です。
日時:2018年3月17日(土)14:00~16:00
第1部:萩尾望都トークショー
第2部:萩尾望都×松本零士 対談
会場:北九州国際会議場 メインホール(北九州市小倉北区浅野3-8-1)
定員:500名
司会進行は北九州漫画ミュージアム学芸員の石井茜さんです。
萩尾先生は春らしいピンクのジャケットをお召しになって、いつもながら素敵です。
第一部は石井さんの質問に萩尾先生が回答される形式でした。
昨日の原画展の内覧会をご覧になって、いかがでしたか?
→黒い壁と床になっていて、銀枠のフレームで飾られた原画が並んでいた。宇宙空間が広がっているようで、とても美しく、面白かった。
これまで北九州においでになったことは?
→親戚が小倉に住んでいるので、小学校の頃に来たことがある。雪の日に小倉のどこかの動物園に行った。雪の中で折りの中に座っているチータか何かの黄色い動物を見た記憶がある。
原画展は書籍「萩尾望都SFアートワークス」をベースにつくられているが、これが出版された経緯は?
→『S-Fマガジン』などに描いた未発表カットがたくさんあったので、そういうのをまとめて1冊の本に出来ないかと河出書房新社の穴沢さんという編集者が企画をもってきた。SFマンガたくさん描いてるから全部まとめて一冊の本にまとめたいということで、こうなった。
先生はこの本の作品のセレクトに加わってますか?
→これは全部穴沢さんがセレクトした。紛失した原画もありますので探すのを随時お願いして、穴沢さんが徹夜で編集したすごい力作。熱心な編集さんがいると作家冥利につきる。
先生の作品を見てると、手を加える余地があるなんて、と思うが。
→同業の作家さんに話すと「昔の絵は描き直したいよね。」と言います。みんな似たようなことを思うんだなと。
「萩尾望都SFアートワークスは」初期作品から2000年代に至るまで網羅的に収録されていますが、先生のお気に入りのイラストはこの中にありますか?
→イメージアルバム「百億の昼と千億の夜」:アルバム用に描いた阿修羅。光瀬先生の「百億の昼と千億の夜」という原作があって、阿修羅が象に囲まれるシーンを活版で描いた。
これはどのくらいの時間をかけて描いたのですか?
→3日か4日くらい。だいたい下絵に1日、ペンを描くのに1日、カラーに2日くらい。ちょっと細かいところがあるともう1日2日増えることもある。
「銀の三角」
→「銀の三角」単行本用のもの。イメージしていた渋い色味で塗るのがうまく出せた。キャラクターのイメージがすごく好きだった。
画材は何を使ってますか?
→サクラマット水彩、ホルベイン絵具、時々水彩にカラーインクをちょっと混ぜて使っている。
マンガ用カラーインクって非常に光に弱くて色が飛びやすい。でも会場で見るとわかるけれど、先生の絵は全く損なわれていない。
→水彩は保存がいいみたい。
「X+Y」
→背景はかなりカラーインクでやったんだけど、カラーインクに絵の具を混ぜている。細いフォワードの線が入ってるが、ゴムのインクに一時凝ったことがあり、ゴムの線で引いて、完成してから消しゴムを消すと白い線が浮かび上がってくる。放射線みたいな白い線に。本当は空気のないところでは何も見えないのですが。
「あぶない丘の家」
背中合わせで立っているもしくは座っている二人が空を見ているという構図が好きで、これはうまく出せた。他にも同じような構図で絵を描いている。
萩尾先生とSFとの出会いはいつ?
→手塚治虫「鉄腕アトム」。未来の動物、空飛ぶ車などいろいろなものが出てきておもしろかった。
SFマンガからSF文学へ変わったのは?
→マンガにしろ小説にしろ読むのが好きで、小学校の図書館に入り浸っていて、「十五少年漂流記」など世界文学全集を読みふけっていた。ある時SFの「世界文学全集」が購入されたので「月世界人」「タイムマシン」「地球最後の日」コナン・ドイル、ウェルズほかSFやミステリーなど読んでいた。
漫画家デビュー後、初期の頃からSFが感じられるが、意識していたか?
→ネタ帳があるが、その6~7割はSF。残りはファンタジー。足を地につけているというよりはちょっと浮ついた、未来や過去、異世界に魅かれていて、そういう話ばかり考えていた。
SFファンを増やそうと考えたことはないか?
→増やそうとは思わなかったが、SFを読んで欲しいが周りの人に聞くとSFは苦手だという人が結構いた。SFは好きな人は好きだけど、苦手な人に読んでもらうにはどうしたらいいんだろう?おもしろく書けばいいのかとは考えていた。
宇宙を描写するのに参考にするものはあるか?
→星座の本や宇宙の本を読むが、「スター・レッド」のときはマリナー1号・2号が火星に着陸した時に火星の写真集が出たので買った。石ころばかりだった。
宇宙空間に漂ってる小惑星の写真を見ていると、地球で見る岩と全然形が違う。無重力空間に浮かんでいるからか、岩が生き物みたいに不思議な形をしている。すごくおもしろかった。
生み出しやすかったキャラクターは?
→向こうから訪ねてきてくれるキャラクター。「ポーの一族」のエドガーなんかがすごくつくりやすかった。「スター・レッド」の星は編集が突然やってきて「おい、何か描いてくれ。3日後予告とりにくるから」「タイトル出してくれ」。その頃「スター・ウォーズ」が流行っていたので、とりあえず「スター」をつけたらかっこいいなと思ったので「スター・レッド」に。ちょうどその頃出版社のパーティで光瀬龍先生に会った。たまたま火星の話になった。光瀬先生が「赤い目で白い髪の火星人ってよくあるよね」と言われた。まさに私が描いているところだった。しまったと思った。光瀬先生とはシンクロすることが他にもあった。新大久保にグローブ座というシェイクスピアシアターがあって、劇場が宇宙に飛んでいき、中でシェイクスピアの芝居をするという変な話を考えていたら、光瀬先生も同じ話を考えていた、ということがあった。テレパシーかと。
他にも急に連載をと言われたことはないか?
→私は結構気が小さいので、連載でも読み切りでも、全部お話ができてから始める。これだけは予告から話をつくったから毎回冷汗ものだった。予告のイラストと本編が全然違うと言われた。
ほかにも生み出すのに苦労したり構成を考えるのが大変だった作品は?
→「バルバラ異界」は短期連載の予定で、1回目描いてると何か手応えが違う。うまくその異世界に入っていけない。月刊誌なので困った。次の回に何か落ちてこないかと思っていろいろとキャラクターを描いていた。するとキリヤという少年が現れて「僕はキリヤです。度会さんの息子です。」と言う。いやいや、度会さんの息子はタカという名前のはず。「違う。僕が度会さんの息子だ」と言う。そっちの方がおもしろいじゃんと思って話を切り替えた。こういうふうに話しかけてくれるキャラクターは本当にありがたい。
原画展で展示されている「11人いる!」のプロットは先生の頭の中を覗いているような気になる。プロットはどの段階で考えるのか?
→忘れた。編集の頭の中ではページ数が決まっているので、プロットの段階でこの話に何ページというのを決めてネームを切る=下絵を描く前に配分を全部考えて、それから描き始める。逆に絵がちゃんと浮かばないと、取りかかれない。
作品の中にはSF文学とのコラボレーションもある。光瀬龍「百億の昼と千億の夜」、ブラッドベリのシリーズ、野阿梓作品の挿絵など。こういう仕事で楽しくやりがいを感じられること。
→SF作品の一緒にお仕事させてもらって楽しかった。原作者と一緒にする仕事の楽しみは、自分の頭では考えつかないような世界が繰り広げられているから、違う世界が目の前に広がっていく。浮かんだ世界をどこまで描けるだろうという楽しみがある。野阿さんの作品は色気がある。色気をもらわなくてはと思う。
「ピアリス」のような小説も書いてるが、小説とマンガをつくる上で最も違う部分は
→私は頭に思い浮かんだ絵を描くのは得意だが、頭に思い浮かんだ絵を文章にするのがとても下手。なんて表すのかわからないということがある。
マンガ家を志したきっかけ
→手塚治虫の「新選組」を読んですごいショックを受けて頭から離れない。こんなに人を感動させるものがあるのかと。「新選組」は手塚作品の中で「火の鳥」「アドルフに告ぐ」といった代表作になるほどドラマチックな話ではない。でも思春期のある時期にちょうどスポンとはまってしまった、出会ったのだろう。自分もこんなふうに人を感動させる作品を描きたいから、マンガ家を目指してみようと本格的に投稿を始めた。高校3年生から。
その当時の福岡で先生に影響を与えたものは
→福岡には学校の図書館もあったし、映画館もたくさんあった。小学校の頃、父が映画館に連れていってくれて10円あれば1日いられた。画面が動いているのがとても楽しかった。
アニメーションも好きだったか?
→夏休みや冬休みには母の実家に行ったのですが、子どもたちに映画を見せてくれた。ディズニー映画「白雪姫」など。音楽と動く絵が印象に残ってる。
日本の映画・アニメーションで印象に残ってるものは?
→学校指定の映画鑑賞会があり、「ゲンと不動明王」「かあちゃんしぐのいやだ」(共に1961)など少し教育的な映画が学校で上映された。「ゲンと不動明王」で少年が奉公先でおねしょをしてしまう。自分で布団を干さなければいけない。教室に帰って感想を言うのだが「あの子は家を離れて一人になって寂しいからおねしょするんだね」と先生が話してくれた。
今後の活動について、こういうSFを描いてみたい、こんなSF小説をマンガ化してみたいなど。
→最近読んでおもしろかったSFは神戸でも言ったけどアン・レッキーの「叛逆航路」。新しいしっかりとした世界観があり、とてもおもしろかった。チャイナ・ミエヴィル「都市と都市」「言語都市」新しい不思議なSFを書いているが、とても斬新。
時代ごとにSF小説のムーブメントは変わってきているのか?
→かわってきている。自分がSFを読み始めた60~70年代にはハインラインや小松左京らがいたが、SFは大航海時代のように宇宙に大航海していく話、宇宙人と戦ったり悪い奴をやっつけたり完全懲悪のようなイメージがあった。途中でフィリップ・K・ディックが出てきて地球の未来を書いている。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」で先のない地球、人間とアンドロイドの世界を描いた。最近のSFは宇宙人と地球人のコミュニケーションについて。「2001年宇宙の旅」もそうだったが、未来の時間で未来で待っているもの、将来の人たちと今の私たちはどのようにコンタクトをとるかというおもしろいテーマを書いている。
SFも社会を映す鏡なのか?
→そう。昔は王様がいて上意下達でみんなヒーローについていく構成の物語があったが、今その構成自体が古くて仲間同士でコミュニケーションをとっていく。
今から原画展をご覧になる方へのメッセージを
→400点ほど飾ってあってかなりたいへんだとうけど、写真のとれるフォトスポットに阿修羅がいたりするので、皆さんも楽しんで欲しい。
ここで第一部終了です。
第二部は松本零士先生との対談です。
お二人は1979年に南米の旅をご一緒された間柄で、この時のお話は「地球魔ゾーンの宇宙人―アマゾン・インカ・ナスカ探険記」という本にまとめられています。リオデジャネイロからアマゾン、ペルーのマチュピチュとナスカ地上絵などまさに大冒険の旅でした。その時のお話が中心になるだろうとは思っていました。
同行者は松本零士先生、ちばてつや先生と萩尾望都先生、今里孝子さん(現・城章子マネージャー)、「宇宙戦艦ヤマト」森雪の声を担当した麻上洋子さん、ほかに男性4名の合計9名の大所帯ですね。
・マチュピチュでは麻上さんが上っていって、松本先生とちば先生が必死で追いかけていった。萩尾先生は怖くて麓にいた。
・アマゾンでピラニアを釣って刺身にして食べた。ワニも食べた。
・パリで合流してコンコルドに乗ってリオデジャネイロに向かう。北回りで行った。途中喜望峰で燃料補給した(これ、ダカールのことだと思います)。取材申し込みをしておいたのでコンコルドの操縦席に入り、漫画好きの機長と仲良くなってコンコルドを操縦させてもらった。機長が「墜落実験をやろう」と言い出して12,000フィートまで引き上げて6,000フィートまで急降下させた。席にもどってちばてつや先生に「今、飛行機が揺れたろう」「うん、気流が悪いんだね」「あれは俺がやったんだ」トイレに行こうとすると「もう二度と行かせん!」と腕をつかまれてしまった。(→萩尾先生はこのお話初めて聞いたそうですが、松本零士先生は結構あちこちで話しています。)
・ナスカの地上絵の上を飛行機で飛んだ。直接地上に行って自由に歩き回れた。そういう何でも出来た時代だった。今はマチュピチュも上れないし、ナスカも立ち入り禁止。
・ミイラを見に行って写真を撮った。
・カリフォルニアの射撃場でピストルを撃った。みんなもうバンバン撃つが、萩尾先生だけじーっと焦点を合わせてから撃って命中したので優勝した。でも「そんなゆっくり撃ってたら殺されてるよ」と言われた。
お二人のやりとりでおもしろかった話をピックアップします。
(松本)「我々男が少女マンガ描いてたんですが、萩尾さんみたいな女性のマンガ家が登場すると、我々全員クビですよ」
(萩尾)「コラボでグッズをつくったのですが、メーテルの眼力に私のキャラクターが全滅しました」
(松本)「萩尾さんはいいね。なんと言ってもペンネームがいい。」(萩尾)「本名です。」
Q:松本先生は萩尾先生の作品の中で好きなものは?
A:絵がすごくきれい。物語の印象が残る。目的意識があって描いてる。それで大好きなんだよ。だから一緒にアマゾンに...(笑)
Q:萩尾先生にとって松本零士先生の作品の中で一番おもしろかったのは何か?
A:「男おいどん」「トラジマのミーめ」。松本あきら時代のSFに南極に置き去りにされた犬が宇宙人に連れ去られ、宇宙人になって、冷たい仕打ちをした地球人に復讐にやってくる。でもその犬の飼い主だった家の女の子だけ助けてあげようと連れてくる。でも女の子が言うんですよ...(ここで萩尾先生涙が出てきてしまい話がわかりません。どんなタイトルだったのでしょう)
(追記:こちらの作品名がわからなかったのですが「みどり色の火」と御教示いただきました。「松本零士の少女漫画(昭和32~35年)」に収録されています。)
質疑応答
Q:萩尾先生の一番古い記憶はどんな記憶ですか?
A:私の一番古い記憶は、大牟田の白川に住んでいた長屋で、窓の側に白い花がたくさん咲いていて、それがとてもきれいだった。その窓わくに這い上がろうと一生懸命だった。後で両親に「あれはどこ?」と聞いたら「お前が1歳まで住んでいた白川だよ」と言われたので、そうなのかと。
Q:「スター・レッド」の星は火星とエルグのどちらを愛していたのでしょうか?
A:両方おんなじくらい(これ、松本先生が答えてます)。後で萩尾先生が「両方愛していたと思います」と(笑)
Q:「ポーの一族」が宝塚で舞台化されたが、他にSF作品でミュージカル化して欲しいものはりますか?
A:やっていただけるものなら、何でも大丈夫です。
Q:「11人いる!」のキャラクターはどうやって思いついたのでしょうか?
A:魚や動物が好きで、魚で次第に性転換しているのがいるのを聞いていたけれど、それは魚だからと思っていた。するとアーシュラ・K.ルグウィンが「闇の左手」で性転換する人間を登場させたので、人間でもやっていいのだと思った。
Q:先生はSF小説をたくさん読まれていて、J.P.ホーガンの「星を継ぐもの」やラリー・ニーヴン「リングワールド」を漫画化してくれるとかはないんですか?
A:「リングワールド」はおもしろいですね。「星を継ぐもの」は星野(之宣)さんが描いてます。「リングワールド」の変な種族はすごい発想だと思いました。なかなかちょっと描く機会がないです。
Q:最後に。
A:松本先生が小倉で育ってどんな少年時代を送ったのか、なかなかこういうときがないと聞けないので、楽しかった。ありがとうございました。
萩尾先生のお言葉を一つでも聞き漏らすまいとしていた萩尾ファンはビックリしたでしょう。ほとんど松本零士先生お一人で話されていて、萩尾先生は絶妙に合いの手を入れる。司会の方も何とか軌道修正しようと途中まで頑張っていましたが...。それでわかりました。前半は萩尾先生のみ、後半松本先生とお二人で登壇された理由が。こうなることがわかっていたので、2時間全部お二人のトークショーにしてしまうと萩尾先生がお話しされる余地がない。遠くからきたファンはがっかりするだろうという、企画側のご配慮ではないかと思いました。でも松本先生はサービス精神が旺盛な方なので、ついついたくさん皆さんに話したくなるんですよね。楽しい対談でした。