女子美術大学 萩尾望都先生講演「漫画技法と表現」レポート
日時:2015年7月19日(日)14:00~
場所:女子美術大学オープンキャンパス
アート・デザイン表現学科メディア表現領域の内山博子先生が司会を務められた、萩尾望都先生の講演です。初めて投射器で実際に絵を描いているところを映そう、という試みがありました。
遅くなりました。以下、萩尾先生の言葉を拾ってつなげたレポートです。正確ではありませんが、大きく外してはいないと思います。
今日は、マンガを描いていると絵がだんだん変わってくるもので、自分の絵を比較しながら、どんなふうに絵を描いてきたのか、どんなふうに変わっていったのかという話をしたいと思う。
2歳のときから絵を描いていて、鯉のぼりの絵を出したら、小学校の先生に本当に本人が描いたのか疑われ、大人は手伝ってはいけないと言われた。高校生のときに漫画家になろうと思ったが、親に反対され、ファッションの専門学校に行かれた。でもやっぱり漫画家になりたくて上京した。
1969年 デビュー作「ルルとミミ」
20歳前後の作品。キャラクターをどういうバランスで描くのか難しく思っていた。当時は水野英子さんや手塚治虫、石ノ森章太郎のキャラクターをモデルに描いていた。デザイン学校に行ってたとき、八頭身が人間の体は服が一番映えると習った。頭が1として、くるぶしまでを8とし、上半身を4、下半身を4とする。モデル以外にはあり得ない体型。だがこれを憶えるとどんな長い服を着せても、短い服を着せても、足が見えていても見えてなくても、バランスがとりやすい。顔は肩幅と同じくらいで、少女マンガらしく、目を大きくした。
「ルルとミミ」は双子の女の子が主人公。ケーキコンクールに出すケーキをつくっている。女の子はお菓子づくりが好きなものだから。その頃は私もお菓子作りづくりに凝って、蒸しパンやホットケーキ、カステラ、パウンドケーキなどをつくっていた(初めて聞きました)。その経験をもとに描いた。
1970年「ビアンカ」
これも八頭身だが、少しシリアスなものだったので、 少し目を小さく、若干細めにしたした。この時代のキャラクターは鉛筆型というんですか、頭が大きくてその頭の幅にボディがストン落ちている、細めのスタイル。肩幅を少し太くしたり小さくしたりすることで、絵が古くなったり、新しくなったりする。
1年後の「ビアンカ」は「ルルとミミ」に比べると線のタッチが細くなっている。もともと筆圧がないので、ついつい線が細くなってしまうのを何とか太くしなければと思って描いていたのだけれど、この作品はシリアスだからあまり筆圧を入れずに描いた。
物語としては、それまでの楽しい話から、シリアスというか、森に食べられてしまったかもしれない、というファンタジーな話。当時はコメディもシリアスなものも両方好きで描いていた。編集の方に両方原稿を送ったんだけど、『なかよし』ではかわいい楽しい作品を求められた。「ビアンカ」は『少女コミック』でシリアスなものも引き受けてもらえた。
小学校・中学校・高校と摂取したものが全部栄養になってはき出されるのは20代。若い方は映画でも本でも旅行でも、役立てようと思わなくても、自分の中で養分が貯まっていくので、どんどんやった方がいい。
1971年「モードリン」
『なかよし』(講談社)でボツになり、『少女コミック』(小学館)で拾ってもらった作品。ホラーでシリアスな作品なので、肩幅と顔が同じ。雑誌によってストーリーの制限があり、描き方が違う。
(「モードリン」などを描いて次々ボツになった)この頃一番大変だったのは、編集にダメ出しされ続けて、自分で自分を疑い始めたこと。自分でおもしろいと思っていたものが本当はおもしろくなかったんじゃないだろうか、自分の感覚は変なんだろうか、とか。それで1年くらい悩んだが、結果的にそれしか好きじゃない。ダメだと言われても、これしか好きじゃないと言って、好きなものだけ描いていこうと思った。売れなかったら。最終的には自費出版とか同人誌とかいった方法もあると考えていた。
小学館の山本さんという編集さんがいて、その人が持っていった作品を気に入って下さって、「没になったものがいっぱいあるんですけど」と言ったら「見せてごらん」と言われて、見せたら「全部買ってやるよ」と言ってくれて『少女コミック』に掲載してくれた。これで買っていただけなかったら同人誌の世界にいっていたと思う。出会いというのは不思議なもので、本当に出会えて良かった。没になった原稿があったから出会えたということもあるし。好きだったら描き続けて欲しい。
1972年「ポーの一族」
八頭身で頭が大きく、体はスラっとスレンダーになっている。今は吹き出しは全部デジタルになっているが、当時は文字だけ印刷したものをのりで貼り付けていた。だんだんコマの描き方が変わっていっている。最初は四角の中に入れていたのが、はみ出ていく、という感じ。
作品によってやってくるイメージが違うので、そのイメージを生かすためのコマ割というのがある。コマ割をどうにかしようというよりはむしろ、イメージがどうやったら画面に合うかということを考えているうちに、はみ出したり、中に入れたり、なっていった。
ページをめくるときに読者を飽きさせてはいけない。次のページがおもしろいかもしれないと、コマのリズムに読者を巻き込むことが出来たら、次のページをめくってくれる。
吸血鬼は長生きなので、いろいろな時代に現れるだろう。自分の好きなドレスを先に見つけて、このドレスを着せたいから、この時代にしようと設定した。
この時の頭身もそれまでと変わらない。デビュー当時の描き方で描く。デザイン学校で習った八頭身はくるぶしまでなので、足はつけたしみたい。顔を大きくするので、目も大きく、こんなバランスで。最近の絵は頭が小さくなった。
真ん中に1本の線を描いて、そこを分割して描いて、この後、着衣をしていく。この真ん中の絵は頭が大きいので子どものキャラクターだが、大人になると、ちょっとだけ顔が小さくなる。
(右の女性)「ポーの一族」のシーラさんのような大人の女性。八頭身だが、まずは顔が小さくなり、目も小さくなる。鼻筋がすーっとして、胸があるため、ちょっと肩幅が広くなる。
(真ん中)こんなに頭のでかい息子はいないから、もうちょっと小さくする。(左の少年を描く)。本来はもっときちんと縮小するが、なんちゃってで描くと、顔の大きさはシーラとあまり変わらない。
1974年「トーマの心臓」
お話を考えて、1ページ目のことを考えているときに、東京は雪だった。ドイツが舞台なのだけれど、ドイツの3月に雪が降るのかとか、あまり考えなくて、ちょっと雰囲気的に雪が降っていて、雪の中を歩かせようと思った。もし、その日に雨が降っていたら、雨の中を歩かせたかもしれない。本当に偶然が支配して、出来ちゃうということも結構あるが、これがちょうどいい感じで出来た例。
実際にベタは最後に塗る。ずっーと雪が降っていたということを表すために、このページから先も雪で全体を覆っている。この時間帯は上も下も右も左も雪だった、というイメージを出すために。ここに犬が出ているが、ドイツでは3月の雪の日に犬が外にを歩いていたら死んでしまうとのこと。だからドイツには野良犬とか野良猫はほとんどいない。ちゃんとおうちに入れてあげないと。
20代の頃頃にヨーロッパに結構行ったけれど、これをアイディアを練って、この絵をちょっと描いていた頃は全然行ってなくて。物語の中だけ。小説や紀行文を読んだりしていました。本物は知らなかった。
「トーマの心臓」の時は頭身は同じように八頭身で、ちょっと頭がでかい。
この頃、出てくるのが女の子から男の子の方に変わってきた。少女マンガ家だから、少年が出てくるのは冒険マンガぐらいしか思いつかなかった。こんなデリケートな恋愛ものを男の子で描くとは自分でも思ってなかった。当時「哀しみの天使」という男の子たちの恋愛ドラマが映画館で上映された。後で「寄宿舎」というタイトルになってDVDになっているが、男子校の学校の恋愛ドラマ。それを見てショックを受けて、「トーマの心臓」を描いた。「哀しみの天使」はフランスの話だったのだけど、私はヘッセが好きで、ドイツに凝っていたので、強引に舞台を移した。
私は14歳の頃にすごく「いい人間」になりたくて。その頃、たまたま本で見たのだと思うが、「レゾン・デートル」という言葉を憶えた。「存在理由」という意味。自分の「存在理由」は何かあるのだろうかと。思春期ですから、そういうことを考えるようになってきた。そうしたら、みそっかすだし、勉強もできないし、そんなに友達に親切なわけでもないし、何か私の存在理由ってないかなと思って。あまりになかったんで、「よし、いい人間になろう」と思った。いい人間になれば「あなたは生きていていいよ」と神様に思ってもらえるんじゃないか。いい人間になるにはどうしたらいいかと考えて、「あぁ、なれない」と思った。「起きなさい」と言われたら、ちゃんと朝起きて、「遅刻しないように学校行くのよ」と言われたら「はい」と言って学校に行く。学校と家庭しか環境がありませんから、その中でいい人間になるためには、いい生徒・いい娘になるしかない。そうしたら、やっぱり親の言うことは「はい、はい」と全部聞いて、「100点取ってらっしゃい」と言われたら「はい、おかあさま」、「毎日3時間宿題やりなさい」「はい、おかあさま」。学校の先生が「ここからここまでちゃんと憶えてきなさい。次のテストは100点取るように。」「はい、先生」といういい生徒にならなきゃならない。と当時は思った。友達とケンカするなとか、仲良くしろとか、嫌いな人間をつくっちゃいけないとか、自分で自分をそんなふうに追い詰めちゃって。1週間で「これはダメだ」と。朝寝坊したり、遅刻したり、夜更かししたり、毎日「ダメだ、ダメだ」と思って。これはダメだ、私はいい人間にはなれない。それが「トーマの心臓」に引き継がれている。「いい人間になりたい」という少年を出してみた。自分が失敗したから、こいつにやらせようと。描いている人間が「無理だよ」と思いながら「ふふふ」と。
死神が上からすーっと降りてくるこういうコマの切り方、どんどん枠がなくなっていく。わいてくるイメージをどんなふうにしたら伝わるかなと思って。考えに浸っているときって、まわりが見えなくなる。ちょうどそういうシーン。頭の中で考えているので、まわりが見えなくなっていて、そこにちょんと肩を叩かれるとびくっとする、という。
この頃すでにベタを塗ったり、消しゴムをかけてくれたりするアシスタントはいた。時々背景とかモブのキャラクターも描いてもらった。でもこのページは多分ほとんど自分で描いている。
1975年「この娘(こ)売ります!」
編集部では「トーマ」は「暗い」と評判が悪かった。アンケートはずっと最下位だった。暗すぎると言われて、「もっと明るいのを描いてもらわないと困る」と編集部に言われていた。「わかりました。これが終わったら、明るいのを描きます。」と言って引っ張っていたので、「トーマ」が終わったら、約束通り、明るいものを描かなくてはと思い、描いたもの。
このタイトルは近所に住んでいた木原敏江先生につけていただいたもの。木原先生はすごく言葉のセンスがあって、タイトルもおもしろいものがある。コメディを描かなきゃならないのだけど、何かいいタイトルはないかしら?とストーリーを話して相談して、つけていただいた。
明るい作品なので、目も大きくした。頭も少し大きくして、体はスレンダーになっているバランスです。「私は暗いだけじゃありません、こんな明るいものも描けますから」という感じで。全身ちょうど女の子が写っていて、頭がちょっと大きくて、体がスレンダーになっている。
1975年「アロイス」
これは「トーマ」の頃と同じような頭身でキャラクターを描いたつもり。枠というのはいろいろなことに使えるので、切ったり貼ったり、組み合わせたりするだけで、画面の雰囲気がコロっと変わるので、おもしろい。白泉社の『花とゆめ』に描いたシリアスな作品。
1975年「11人いる!」
宮沢賢治の民話「ざしきぼっこ」という短い童話から発想を得ている。あるお屋敷に子ども達が10人集まって遊んでいた。ところが数えてみると11人いた。どれも知ってる顔だし誰が増えたのかわからない。みんな「わっ」と叫んで逃げ出した、という話。10人いたのにいつの間にか一人増えて、それが誰かわからない、という発想がすごくおもしろくて、このネタで一回SF描こうと思った。タイトルも最初から「11人いる!」。描こうと思ったのが高校生の頃。キャラクターを描いてみたら6人しか浮かばない。ちょっとおいておこうと思って、寝かせた。1975年になったら、11人ちゃんと並べることが出来た。
キャラクターの頭身のバランスに関しては、そんなには変わらない。
11人全員に違う宇宙服をデザインするのが、すごく大変で、思い浮かばない。未来の服はスピーディな環境で生活するので、どんどんシンプルになっていくだろうと思って描いた。
フロルの未分化な性については、手塚治虫「メトロポリス」の男でも女でもないミッチーというキャラクターや「リボンの騎士」など、女性なのに男性の格好をさせているキャラクターがおもしろかった。アーシュラ・K.ルグウィン「闇の左手」に雌雄同体で月に一度変身する本格的なSFがあって、それがすごくおもしろかった。子どもの頃はファンタジーとして読んでいたが、それを読んだ時点で、科学に変わりすごいなと。性にまつわる背景をきちんと考えていておもしろいなと思った。
まず鉛筆で描いて、その後ペンで描く。ペンは基本的にはGペンを使っている。今回は撮影して投射するというので、ペンだと時間がかかるのと、見えないので、太めのサインペンを用意してもらった。
基本はGペンだが、サインペンを使う場合はアップとかイラスト的な効果を狙うときに使う。サインペンは線がそんなに変化がない。Gペンだと変化がいろいろあって、いろんなボディラインの表情を出すのに適しているが、逆に表情を出さないで描きたいときはサインペンが適している。
下絵は鉛筆で、Gペンで描くとまた別の表情になるし、丸ペンの細い線で描くと、また別の表情になる。例えばこれでレースの袖の服を着せている場合には、もっと細い、0.2mmがいい。これは1.0mm。あまり写らないから要らないと言ってしまったので、今日は用意されていない。(次回はGペンを用意します、とのこと。)
この時、松本零士のアシスタントをしていた方にこのときアシスタントしていただいた。すごい宇宙船を描いてくれた。
1978年「スターレッド」
ちょっと顔が小さくなってきた、というか肩幅が出てきた。肉付けがよくなってきた。理由はよくわからない。
編集から締め切り三日前に予告カットを描けと言われた。とりあえず、タイトルと予告カットだけ入れて、そこから考えた。前から構想があったわけではなく、とにかく、その時思いついただけ。とにかく、カラー原稿を描かなくてはいけないが、カラー原稿は締め切りが早い。キャラクターを決めて、キャラクターに色づけしているうちに、こういう話にしようかな、と思いついた。その頃は火星にマリーナ4号や5号が行って、火星の写真をたくさん撮ってきて、火星の写真誌とか出ていた。
そこで、主人公を火星に住む女の子にしよう。特性を出すために、赤い目に白い髪にする。つまり色素がない。火星人だけど地球にいる。火星に帰りたいと思っている。基本設定はそれでいこう。なぜ地球にいるのか、じゃあ火星はどうなっているのか、描きながら考えていこうと思って始めた。若かったから出来たのだと思う。若かったからチャレンジが出来たし、失敗しても、平気だった。
この作品は思いもかけなかったキャラクターが飛び出すということがあり、主人公のセイの女の子の側にエルグというキャラクターがいるが、この人は最初はただのモブで出てきた。描いてみたら何かありそうだ。いろいろと話を聞いてみると、セイを火星に連れて行ってくれるが、なぜそんなに親切なのか?それにはいろいろ理由がある。髪型がちょっと上にポニーテール結ってるが、単に未来の人だからこのくらいの髪型をしているだろうと思って、この髪型にしたが、後から角を出しちゃおうかなとか。後付けです。キャラクターがお話しを引っ張ってくれた。
1980年「銀の三角」
かなりバランスが変わってきて、頭が小さい。十頭身くらい。この頭身になると目も小さくなっていく。これはわりと最後まで構想して、描き始めた作品。
1985年「マージナル」
このときはもう頭が小さい。これは男しかいない世界の話で、描くのが楽しくて楽しくて。この時はイケメンしか描かないと決めていた。一人だけ違う人が出てきて、センザイ・マスターという超能力者のお坊さんが出てくるが、この人はちょっと丸い人。
「マージナル」の頃になってくると枠がなくなってきて、回想シーンなどは特に枠がない。枠がないと順番がわからないが、枠がなくても読んでもらえるように、目線を引っ張る工夫はしてある。これを見たら、次にこれを見てくれるだろうというように。
まず、このページに出るネームというか台詞を考える。その台詞は絶対読んでもらわないと困るから、この台詞から次の台詞を読んでもらうために、絵の構図を考える。台詞から台詞に行く時に、下手に目を遮るものをつくると、行かない。後で読んだらここにこんな台詞がある、では困るから、絶対に読むように考える。こういうことは手塚先生の漫画から教わった。
この頃はゼブラのGペン。この一つ前は立川のGペンがシャープなので使っていたが、段々腱鞘炎が悪化してきた。立川のGペンは堅いため指が疲れてきて、この頃はちょっと柔らかいゼブラに変えた。そうするとやっぱり線が柔らかくなる。立川に戻したいなと思って一回戻してみたが、一日でダメで、またゼブラに戻した。やがてゼブラも大変になってきて、その後ニッコーになった。だから今はニッコーのGペン。
1992年「イグアナの娘」
イグアナは四頭身。
四頭身のキャラクターと言えば、エロガー・ポーチネロという「ポーの一族」のエドガーを四頭身化したものを描いたことがある。
連載中「王妃マルゴ」
「王妃マルゴ」も基本は八頭身の線なので、一人だけアランソン公という五頭身というか正方形の登場人物がいる。これでも王子様。右はイケメンのギーズ。アランソンは背が低くて太っている。このバランスだと顔を大きくしないと、かわいく見えない。ギーズは手が長くて、腰に手をあてると、ちゃんと曲がる。アランソン公は短いので曲がらない。
この後、壇上の机の上に今描いた絵を並べてくださって、写真撮影も許可していただきました。