スタジオライフ「トーマの心臓」DVDに収録された対談に萩尾先生が出演されています。
2015年3月25日にスタジオライフのDVD「トーマの心臓」が発売されました。このDVDはスタジオライフ創立30周年を記念してつくられたもので、5枚組+豪華リーフレットとなっていて、付録にトートバッグも付いてきます。「トーマの心臓」公演が3本、「訪問者」公演が1本、そして「メモリアルトーク」という対談でまるまる1枚となっています。このトークはスタジオライフの本拠地である中野ウエストエンドスタジオで5人(+司会1名)でお話された模様が1時間30分も収録されています。
Disc 1:1996年「トーマの心臓」初演
Disc 2:2006年「トーマの心臓」紀伊國屋ホール(Seele ver.)
Disc 3:2014年「トーマの心臓」紀伊國屋ホール(Auslese ver.)
Disc 4:2010年「訪問者」シアターサンモール
Disc 5:萩尾望都×倉田淳×笠原浩×石飛幸治×山崎康一 メモリアルトーク
このトークセッション、本当にとても濃い内容なのです。ちょっと、ここには書けないようなこともお話されているので、スタジオライフのファンは言うまでもありませんが、熱心な萩尾ファンはスタジオライフのファンでない場合であっても、是非ご覧下さい。本当に貴重な証言が多々ありましたので。
何より、このパッケージ!萩尾先生が創立30周年を記念し、スタジオライフのために描き下ろしたイラストの一部を使っているそうです。今現在のユーリとオスカーです。
登場されるのは、萩尾望都先生、倉田淳さん、石飛幸治さん、笠原浩夫さん、山崎康一さん。そしてインタビュアーは上甲薫さんです。
若干ネタバレになってしまいますが、萩尾ファンの知識として必須なところだけ、ちょっとかいつまんでご紹介します。萩尾先生がスタジオライフに作品を多く提供されていることは、ファンの皆様もご存じかと思います。中には何故そんなにスタジオライフに作品を提供されているのだろうと思われる方もおられるかもしれません。その理由はこのトークの中で述べられています。
スタジオライフと萩尾先生の出会い
倉田淳さんがスタジオライフを立ち上げて10年の頃、お客様に「何故こんなに美少年ばかりいるのに、ギムナジウムものをやらないの?」と言われ、別の方が「トーマの心臓」をもってきて倉田さんに貸してくれました。それで倉田さんははまってしまい、萩尾望都作品集第I期、第II期を取り寄せて読みふけりました。それで、どうしてもこの「トーマの心臓」を舞台化、演出したいと思い、企画書を書いて、小学館プチフラワー編集長だった山本順也氏に会いに行ったそうです。突然の訪問にも応じてくれて、熱心に話を聞いてくれました。
山本編集長はスタジオライフの舞台を観に行き、いい劇団だと、舞台化してあげてもいいのでは?と萩尾先生に勧めます。それまでも舞台化の話は萩尾先生のもとには届いていましたがあ、原作から離れてしまっていることが理由で企画書の段階で断っていました。でも、山本さんがいいと言うのなら、いいだろうと思い、萩尾先生は舞台化を了承するFAXを送りました。(このFAXを見ることが出来ます。萩尾先生直筆です。)
萩尾先生自身も初演は勇気がなくて観に行けなかったけれど、ベニサンピットで再演すると聞き、ようやく観に行ったとのこと。スタジオライフは再演のベニサンピットで3週間の公演をうったそうですが、そんなに長いのは初めてでした。それまでに観たことのないお客さんの数でした。初めは少なかったのに、口コミで徐々に観客数が増えて行ったそうです。
萩尾先生の紡ぐ言葉
萩尾先生:(作品に出てくる会話は)目で読んで気持ちのいい会話。それを声にしたら気持ちのいい会話、というリズムで書きました。
倉田さん:台本にすると言っても、フルでやったら4時間の舞台を2時間50分にするという構成をやっただけで、役者の口にする言葉は萩尾先生の言葉をそのまま使わせていただきました。
スタジオライフ「トーマの心臓」の影の立役者
倉田さん:前述の山本編集長を初め、さまざまな方のおかげでこの舞台が続けられています。一番最初にこれを読みなさい、と「トーマの心臓」を勧めて下さったのは、当時『ミスター・ハイファッション』という雑誌で編集長をしてらしたた田口淑子さん。翌日に演劇ライターの渡辺美和子さんが「トーマの心臓」の本を持ってきて下さいました。この本に萩尾先生のサインが入っていて驚きました。
また、萩尾先生のマネージャーの城さんに様々にお世話になっています。恐れ多くて萩尾先生に直接お話出来なかったりすることを、つい城さんに甘えてしまったりします。あとはアシスタントの中川さんにも細やかにご配慮いただいています。萩尾ファミリーと言って良いのでしょうか?みなさんにお世話になっています。
萩尾先生:スタジオライフと知り合ったおかげで、萩尾ファミリーは山本順也さんともどもに寿命が伸びています。美しくてパワーのあるものを見ていると、こちらもリフレッシュして、いい新陳代謝が起こるんです。
アシスタントさん初め、萩尾先生ご自身以上に作品世界にこだわりを持った方たちが最初は「トーマの心臓」の世界観を壊されたくなくて絶対見たくないと言ってたのが、実際に一度行くと、すぐにはまった、とのこと。スタジオライフの舞台が萩尾作品の世界観を、とても大切にしていることは萩尾先生ご自身のみならず、周囲のスタッフの方々も認めておられるところです。
1996年当時のスタジオライフと演劇界
1996年と言えば、小劇場ブーム去った頃です。倉田さんが「自分探しの元気で明るい作品」とおっしゃっていますが、確かにそれがほとんどの小劇場ブームのお芝居でした。劇団を立ち上げてちょうど10年。このままでよいのかと迷っていた倉田さんが「トーマの心臓」に出会い、「これだ!」と思って始めらました。すると、それまでのお客さんはすーっと引いてしまい、代わりに萩尾ファンがやって来ました。小劇場なんて全然知らない人たちでした。みなさん萩尾ファンのため、言葉に対して敏感な人たちなので、台詞をよく聞いています。役者さんもその辺はわかって、静かで「シーン」としている劇場を初めて体験して緊張したそうです。「トーマの詩」とか、お客さんが台詞を丸暗記しているので、間違えるとアンケートに皆さんに書かれたとのこと。(例:「彼の目の上で」→「彼の目の上に」)。多分、私も書きますね...
作品の深淵と対峙し続ける18年間
初演のDVDを見て萩尾先生は「"危うさ"というものがスタジオライフの舞台には良い意味でずっとあって、それが倉田マジックなんじゃないかと。舞台には何かこちらが引き込まれて、ドキドキするものがある。舞台のもってる波長というか、心配しながら見るのが妙にいい。」と。
わかります!なんか心配しながら見てますよ、萩尾ファンは!
新たな試みを加えつつトーマに還る
萩尾先生:舞台を観に行く度に新しいトーマを見ることが出来て、新鮮です。「トーマの心臓」という作品も、倉田さんと出逢えて幸運でした。
「トーマの心臓」の俳優と
笠原さん:オスカー・ライザーのモデルになった人はいらっしゃるんでしょうか
萩尾先生:顔はですね、若い頃のポール・マッカートニーが好きだったんですよ。眉のつり上がり具合がすよく良くて、ポール・マッカートニー、それから顔を半分隠すあたりは、サイボーグ009から来てるんじゃないかと。ちょっと拗ねてるところは、ジェームス・ディーンとかのアメリカ映画の青春群像の中から来ているんじゃないかと。
倉田さん:ユリスモールのモデルは...?
萩尾先生:髪型はフランツ・リストなんです。この人が牧師さんで、真ん中分けにしたきれいな黒髪の肖像画がたくさん残っているんです。フランツ・リストって人はすごくモテたんですって。このユーリもモテるだろうなって。
司会:「トーマの心臓」というタイトルをつけた訳はなんでしょうか?
萩尾先生:「トーマの心」っていう意味ですが、「トーマの心」だとあまりにもダイレクトじゃないですか。ラブレターっぽくて。だからもっと脅迫観念を与えられる単語にしようと思って。タイトル考えたときには別段みんなが聞いてびっくりするとは思わなかったんですが、連載を始めたらびっくりしたと言われました。少女漫画には不向きなタイトルでした。
倉田さん:山本編集長が「萩尾はタイトルをつける名人なんだよ」っておっしゃってましたよ。
萩尾先生:そうなんですか。山本さんね、面前では向かって褒めないんですよ。こうやって時々回り回って言われます。
倉田さんは、スタジオライフという劇団にとって「トーマの心臓」をライフワークとして演り続けていく意味を語られています。
「トーマの心臓」ロンドン公演の話があるそうです。ウエストエンドのプロデューサーに英訳された「トーマの心臓」を渡して、来日して観てもらったとのこと。寄宿舎生活経験者の多い方々なので、よくわかると。でもロンドンまで持っていく資金の問題があるので、止まっているけれど、いつか実現させたいとのこと。是非。ロンドンで「トーマの心臓」って、なんか雰囲気ありますよね...。
このDVDはスタジオライフの通販のページで販売されています。