女子美「萩尾望都SF漫画と未来の世界」レポート
「萩尾望都SF漫画と未来の世界」
日時:12月9日(月)16:20〜17:50
会場:女子美術大学杉並校舎 7号館7201教室
会場は15:30〜とのことでしたが、15:00前から開場されていました。教室は2012年と同じ大教室で、一般聴講は一部の席に限られましたが、それでも50名以内ということはなく、もっと収容出来ていたのではないかと思います。この枠は1年生が主にとっている授業だそうです。
内容は講演ではなく、講義に近く、作品論のみならず、具体的なコマの流れの説明も入るという、非常に実践的な漫画講座になりました。表示される画像もすべて、萩尾先生からお借りした原画を女子美の方でスキャンしたということで、たいへん美しいものでした。昨年同様、内山先生が司会進行を務められ、とてもスムースにどんどんお話は進んで行きます。
以下、私が印象に残ったところをメモに残しましたので、そこから起こしたレポートです。全部の内容は追いかけられませんでしたので、抜粋とお考え下さい。
1:漫画家になろうと思ったわけ〜初期の時代のお話
ずっと漫画が好きだったけれど、プロになるのは難しいだろうと思っていた。でも手塚治虫先生の「新選組」という漫画を読んだときにショックを受けて、一週間ほどそのことしか考えられなくなってしまた。こんなにショックを受けたのだから、ちょっとクールダウンさせなくてはならない。そのためには漫画家としてデビューしなくてはと。
萩尾先生がプロを目指すきっかけに登場する「新選組」ですが、今回は「ショックを受けたのだから...」という流れに会場からは「何故???」という雰囲気の笑いが少し。この作品にご自分の受けた感銘を表現するにはプロになるしかないと決意された、という意味だと思います。ちょっとおもしろい表現でした。
高校生の頃、講談社でデビューしていた平田真貴子さんとは、学校は別でしたが、漫画を通じて友だちになっていました。担当編集を紹介してあげるからと言われたので、原稿をもって東京に行きました。平田さんが描いていたのが講談社の『なかよし』だったので、そこでデビューできました。どこでどんなふうに関わってくるかわからないので、人脈は大事です。
デビュー前後のお話の中で「投稿作は原稿が返ってこないことがある」という発言に驚く人が多かったのですが、当時としては普通だそうです。『別マ』はきちんと返してくれたそうですが、そのことをよく覚えておられるのは、それだけ珍しかったのかもしれません。
また、萩尾先生はよく自分はコミュ障みたいなことをエッセイで描かれていますが、高校生の頃から人のつてを使ってどんどん漫画仲間を増やしていらっしゃいます。その結果がデビューにつながっているのですから、人脈は大事とおっしゃるのも説得力があります。
2.「ビアンカ」
子供の頃、「赤毛のアン」やオルコットなど、英米文学の小説で育ちました。知らない田舎が出てきたり、ラファエラとかジェーンといった外国の子供の名前も、日本の花子や太郎と違ってよかった。漫画を描き始めた最初の頃に描いていたのは、SFか外国の少女のお話でした。炭坑町の自分の周囲にはリボンのついたワンピースを着て走り回っている女の子などいないので、描きたかったのです。
「ビアンカ」はデビュー後しばらくして講談社『少女フレンド』に掲載された作品です。『少女フレンド』なら冒険できるだろうと出した作品だそうです。『なかよし』でラブコメ路線を押しつけられていたように見えるので、描きたいものを描いたという感じがする、初期の名作です。
3.「ポーの一族」
高校を卒業後、福岡の服飾の専門学校に進学し、ここで西洋のファッションの歴史を教えてもらったのですが、これが非常におもしろかった。服は年代ごとにデザインが違います。ウエストをギュッと絞ったものや、ナポレオン時代のようにサラサラとした服があったり。そういった服を描くことをおもしろいと感じ、時代ものが描きたいと思いました。吸血鬼のように死なない人間を描いたら、いろいろな時代を生きるから、いろいろな服が描けるなと思いました。
「ポーの一族」を描こうと思った動機を、萩尾先生はこう説明なさいました。また、キャラクターの名前と作品名をつなげると"エドガー・アラン・ポー"という作家名になるのは有名な話ですが、主人公をエドガーにするのは決まっていて、タイトルはなんとなく「ポーの一族」にしようかなと思っていた。すると、相棒をアランにすればいいのかと思いついたとのこと。最初から狙っていたわけではないというのが、ちょっと驚きです。
描いているときに、こういうふうに変な一致が起こったりすると、何となく乗るんです。
●「小鳥の巣」
「小鳥の巣」の最初のページを見せます。窓際で本を読んでいるキリアン。鳥が窓にあたった「バサッ」っという音で窓の方を見ると、ロビンが落ちてくるシルエットが見えます。
これはキリアンという少年の記憶です。鳥がガラスにちょっと当たった音を聞いて、少し前の出来事を思い出す。それは自分がいじめた子が自殺した風景なんですね。でもすぐ次のコマは鳥が飛び去っていくだけなので、彼の錯覚だった、ということです。ここでこの子はなんでこんなものを見るんだろうと読者に思わせます。
次に、「小鳥の巣」の見開きの扉絵の次のページです。最初のコマは縦にばっさり。高い塔と木の枝が見えています。
先生は、次のようにコマ割の楽しさについて語られます。物語をバランスよく平均的にコマに配置していくことはとても難しいけれど、うまくいったときは達成感があるとのこと。
ページを開いたときに読者を「驚かせたい」という気持ちが働きます。読者はページを見るときは、右の上から入ってきますから、木の枝も何もかも少し斜めに流れて行って、きれいに縦長の目線に入るように、コマをつくってあります。目の動きをどのようにコントロールするかというところがコマ割りのおもしろいところで、読者にまずスムーズに読んで欲しいというのが第一ですが、一方でちょっと引っかけたいという気持ちもある。その辺を考えるのがすごく楽しいです。
次に、アランの靴ひもを結んであげているエドガーとその二人の姿を振り返りながら見ているキリアン。
何かよくわからないけれど、このコマはなんとなく大きくした方が良い気がするという気持ちが入るんですね。単に自分が描きたいところだったりするんですけれど。このコマなんか靴ひもを結んでいるだけなので、こんなに大きくとらなくてもと思うのですが、でもここは何かそうした方が良いと感じました。その結果、人間関係がここできれいに現れました。おたおたしている弟のようなアランと、テキパキしているお兄さんのようなエドガーと、学校の責任者だから二人を見張らなきゃというキリアンの関係が見えてきます。
●「ポーの一族」
「ポーの一族」の最初のページです。朝靄の中からだんだんとバラの花が立ち上がり、少年がバラを折っていて、遠くから名前を呼ぶ。そこで読者は彼が「エドガー」だとわかる。そしてエドガーが「お母さま」と返事をするので声をかけているのが母親だとわかる。そういう段取りのページです。
横長のコマは何でも描けるから、私はすごく好きなんですけど。目線が左右に広がります。一方で上から順に読んでいくわけだから、下にいくにつれ横に広がる目線と二つのものがあって、そこら辺のかねあいを考えながらコマを描いていくと、すごくおもしろいものがあります。
「ポーの一族」の見開き扉です。非常にムードのある印象的なページです。
エドガーが主人公なんですけれど、妹が寄り添っていて、二人が切っても切れない関係というのを示しています。風の中、森を抜けてやって来たというイメージを出したくて。しかもやって来るんだから、手前を向いていていいんじゃないかと思うんですが、でも後ろ向きなんです。遠くに行ってしまうというイメージです。
「ポーの一族」の扉の次のページです。一枚の絵のようなポーツネル男爵一家の登場です。先生が描きたかったまさにそのファッションのページになります。
これは19世紀、1864年くらいを設定しました。(シーラのスタイルを見ながら)広がったスカートを全部後ろにまわして、腰までたくし上げている、ワッフルというスタイルが出てきた頃のドレスですね。この頃にはもうコルセットにブラジャーというか胸当てがついてる時代だと思うんですが、このかなり前、フランス革命以前ですと胸があってもすごく押さえ込んでいるコルセットですね。これはちょっと胸が自由になってきている頃です。
ここで内山先生が2012年2月のパリのワークショップのときのことをお話されます。女子美のワークショップで内山先生もご同行されたのですが、ちょうど「王妃マルゴ」の連載開始前で、萩尾先生はもちろんたくさんの資料を既におもちでしたが、この時も時間が出来れば精力的にパリの本屋さんを巡ってあちこち歩かれたそうです。お城一つ描くにも、洋服一枚デザインするにも、すごくよく調べて描かれているそうです。
3.「トーマの心臓」
「トーマの心臓」の下絵が登場しました。これは私は見たことがありません。ボツになったので、下絵のままである、とのことでした。階段の踊り場でエーリクがユーリを呼び止めて話しかけようとしたら、ユーリがほどけていたリボンを結びながら「今度こそ君を殺す」というシーンのようです。違う場所で同じ内容のシーンがありましたね。これは珍しいものを見せていただきました。
「トーマの心臓」の冒頭8ページは2色刷りカラーです。当時、新連載や人気のある作品だと、編集がカラーをくれました。赤と黒があれば茶色も出せるからグラデーションが使えます。このページを描きだした日がちょうど雪の日で、雨だったら雨を降らせていたかもしれない。「雪は水音を立ててくつの下でとけた」とありますが、「3月のドイツで雪が溶けるか」というツッコミを後から受けた、とのことでした。
「トーマの心臓」10ページ目です。非常に重要なシーンで、オスカーから渡されたトーマからの手紙を読むユーリ。トーマの遺書の内容が明らかにされています。
このアイディアを考えたときには、私が若かったせいもあって、わりと死ぬのがあまり怖くなかった時期なんです。今ならもうちょっと躊躇すると思うんですけど、簡単に死なせてしまいました。残された方はひどい話だと思うんですけど。自分はそのつもりはなかったのに、トーマを自殺に追い込んでしまったのかと、ユーリは悩んでいます。「きみにはわかっているはず」というのがポイントの台詞なんですが、これが解明するのはもっとドラマの後の方になってからです。この時点では何のことかわかっていないから、ちょっと脅迫されているような感じですね。
4.「イグアナの娘」
「イグアナの娘」の扉のカラーが出ますが、原画はなんとスケッチブックなんです。
多分たまたま使ってみたいスケッチブックがあったんでしょうね。イグアナは本当はこんなに大きくないのですが、オオトカゲのような感じで描きました。本当は女の子なんだけど、お母さんが「あなたはイグアナだ」というので、心身ともにイグアナになってしまったんですね。
萩尾先生が「イグアナの娘」を描いた動機は、ご自身の体験で親子間のコミュニケーションがうまくいかず、悩んでいたときにガラパゴス諸島のイグアナを見て、自分がイグアナだと思えば理解し合えないのも納得、と思って描き始めたとのことです。今回は触れられませんでしたが、この作品の中のエピソードには実体験も含まれているとのお話でしたね。
この作品について、内容を細かく説明されました。ラストのところについて、以下のようにおっしゃってます。
彼女はお母さんとコミュニケーションが取れなかった辛さは覚えているのですが、自分を拒否したお母さんの気持ちを理解したんです。
5.「バルバラ異界」
青羽とキリヤ、渡会の関係等、物語を細かく説明して下さいました。以下、「バルバラ異界」という作品についての先生のお話です。
これは共同意識体とは何かという話なんです。いろんな争いや、憎しみや、破滅や、意識をもつとどうしてもそういうものが生じてしまうけれど、もし人間の意識が統一化されて、たった一個体のものになってしまったらそういった争い事は起こらないのではないか、という前提でお話は進むんです。その統一意識体を生みだしたいと思っているのが、先ほどの眠っている青羽という女の子です。実はこれは、この話でははっきり描いていませんけれど、ちょっと怖い話なんですね。みんなが同じことを考えてしまったら、こんなにたくさん人間は要らないんじゃないか、多数いるようで実は一体ですから、怖いですよね。コミュニケーションというのはどこまで通じればより安定性が増すのか、ということを解決しないまま描きだしてしまいました。
私は若い頃からすごくコミュニケーション能力が足りなくて、人にわかってもらえない、人の言うこともよく理解できない。ずっとそういう状況でした。小説を読んだりすると、よくみんなに同じことを考えさせる超能力者が登場したりするんです。私はこうなったら楽だな、いいなと思って、そういうのに憧れてしまうんです。いろいろと弊害もあるんですが、その弊害には気がつかないで、一緒だったらどんなにいいだろうと思った時期がちょっとありまして、それを意識した作品です。
6.「スター・レッド」
スター・レッドのレッド星は目が赤く、髪が白い。それは色素がないので目が赤く見えるからだそうです。目は見えていなくて、キュビズムのように物体全体を超能力で捉えているという設定です。
先生が火星にこだわられた理由は、太陽系の惑星の中では、まだ住みやすいのではないか、火星を人間が住めるようにテラ・フォーミングすることが出来るような気がしたから、とのこと。
昔は宇宙に行きたいとは思わなかった。事故が起こったら怖いなとか、あと10分しか空気がないとか、そういう状況を想像するだけで怖いと思ったけど、年を取ったら、怖くなくなり、行けるものなら行きたいと思うようになったとのこと。
また、先生のSFが古代の風景になってしまう理由をこのように説明なさっていました。
私はどうもSFでは文明社会が行き詰まって、原始の力がそれを救うという設定で繰り返し描いているんですね。だからどちらかというと、近代文明というのがこちらにあって、それに対抗し始めるのはこういった民族的な集団なんです。
そして、「もともとギリシャ神話やローマ神話が好き。神話や古代文明の世界は神様がいなくては成り立たない世界である。文明社会が発達して神様から遠ざかっていくが、それで我々は幸福になっているのかと。科学で問題は解決する面も多くあるが、このままで良いのか」という気持ちがあって、萩尾先生のSFには古代文明のような姿の人が多く登場するのだそうです。
これはレッド星が異空間に吸い込まれ、時間軸の中をふらふらとさまよって、さまざまな未来や過去を見ているところです。去年の火星、来年の火星と続き、最後はとうとう火星が砕けているところまで見えてしまってショックを受けているところです。
火星人のもつ土着的な超能力は最終的には自らを滅ぼしてしまうため、彼らはその能力を封じ込められてしまいます。封じ込めたのは、文明社会を築いて、宇宙空間の中をワープするような科学的な人たちです。けれども、本当に神話世界が壊滅したままで人は幸福になれるのか、という物語です。
7.萩尾先生のお薦めの作品
ここで萩尾先生のオススメの作品を2点あげられました。「進撃の巨人」と「コッペリア」だそうです。自作のお話をされるよりはるかに高いテンションで語られていました。
8.「なのはな」
「なのはな」を描かれた動機についてはたくさんのインタビューに答えられているので割愛します。震災後の福島の原発事故によって絶望していたので「自分で自分に希望を与えようと思って描いてみました」とのこと。
「プルート夫人」は放射性物質の研究の歴史をひもとくと、キュリー夫人のラジウムの発見から始まり、放射性物質というものが素晴らしいエネルギーではあるけれど、次第に本当はどういうものかわかっていくにもかかわらず、科学者がその魅力にとりつかれていく様子がまるで悪女につかまってしまった男のようだと感じて描いたものだそうです。
9.「11人いる!」
おなじみ「11人いる!」のオープニングは二色刷の試験会場です。「11人いる!」は"萩尾望都SF漫画と未来の世界"という今回の講義に最もふさわしい作品でしょう。
これは70年代なので、今から見ると非常に設定が古いんですけれど、60年代、70年代のSFというのは、人類は月に行ったり、火星に行くための計画を立てたりと、宇宙にもいろいろな生命体がいるんじゃないかという希望的観測をもってSFが発展していった時代なんですね。だからここでは、宇宙のいろんなところから来た受験生が一つの大学に入るために受験をするという設定になっています。これが試験会場ですね。岩石みたいな人とか、思いつく限りいろいろな人種を集めました。このさまざまな人種の集合体で、どうやってこのテストを乗り切るのか、というストーリーです。
10.贈呈式
最後に女子美の方から紫綬褒章の記念に「阿修羅王」の絵を刺繍したバッグを贈呈されていました。女子美の青谷徳子先生がつくられたもので、製作期間は2ヶ月以内なので、そんなにはとおっしゃっていましたが、力作でした。
10.学生たちへのメッセージ
最後に、萩尾先生から若い学生さんたちへのメッセージを送られました。
みなさん、本当にお若いと思いますが、好きなことがあって、これをやりたいと思う情熱というものが消えないでいたら、いつまでもそれは燃え続けているんじゃないかと思います。これからきっと不況が訪れたり、彼氏と別れたり、辛いことがあるかもしれないけれど、つくること、何か興味について、好きなことがあったら、それを抱きしめていれば、絶対に大丈夫じゃないかと思います。例えば私は漫画を描く上において、やっぱり絵を描くこと、お話をつくることがすごい好きだった。読むことも好きだった。それは役に立たないからやめなさいとずいぶん言われたんです。でも捨てないで来たら、こんなふうにお友達もできてネットワークもつながって、なかなかいい人生を送ることができました。成功するにしろ、またちょっと失敗するにせよ、大切なものがあれば大丈夫、というふうに思います。
みなさん、本当に若くて、ものすごくエネルギーがある。エネルギーを持っているときは、自分がどれぐらいエネルギーを持っているかということを、わからないと思うんです。年をとって目が見えなくなってきたり、徹夜したらつらくなったりすると、わかってきます。多少辛いことがあっても、その若さで乗り切れると思います。頑張って、作品をつくり、仕事をしてください。
今日はどうもありがとうございました。
1時間半きっちり、みっちりと詰まった講義でした。最後の方かなり走っておられましたが、これだけ内容が濃ければ仕方がないでしょう。内山先生がよどむことなくどんどん先に話をふるのですが、萩尾先生もテンポよく乗られていました。よくありがちな画面表示の不備もなく、素晴らしい講義でした。
来年も期待しましょう。