2012年4月7日(土)青山はスパイラルホールB1F CAYにて行われました「マンガのあなた SFのわたし」刊行記念萩尾望都先生と水野英子先生のトークショーに参加して来ました。
私は発売初日に並んでチケ取りして下さった方の恩恵にあずかり、正面ではありませんが一番前に座らせていただきました。ゲストに水野英子先生をお迎えして萩尾先生が質問をするという形式で、ほとんど水野先生がお話され、時折司会の方が萩尾先生に話をふり直すというスタイルで進みました。萩尾先生が水野先生をリスペクトされておられるからというのもあるのでしょうけれど、むしろご自分が水野先生の話を伺いたいという思いをもっておられるようにお見受けしました。
お話は少女漫画が産声をあげて男性作家が少女漫画を描いていた時代に、女性としては数少ない少女マンガ家でいらっしゃった水野先生の苦労時代から始まります。カットや原稿の扱いがすさまじくひどく、編集者にとっては印刷に回したらいらないものとして廃棄され、モノクロ原稿に勝手に色を塗られと
そのようなひどい扱いはマンガの地位が低いからなのですが、当時起きたマンガを焚書扱いにする点も含め、「日本では文字が重視され、絵の地位は低いような気がする」とおっしゃっていました。
また、少女マンガはまずは「友情」「家族」といったところからスタートし、「恋愛」もタブーだったこと、「恋愛」のタブーの次は「歴史」、その次は「SF・ファンタジー」とジャンルを次々開拓していったこと。萩尾先生の時代もSF・ファンタジーは厳しいものがありましたが、さんざん描きたい描きたいと言っていたから、ある日ぽんと山本編集長から「描いてみたら?」と言われて「11人がいる!」を描いたのでずいぶんと良くなっていたこと、原稿も言えば返してもらえるレベルまで来ていたし、水野先生の時代ほどひどい扱いではなかったことがわかりました。
後半は具体的な制作方法、ペンの使い方などのお話に入られて、それぞれのお話をされておられました。
いくつか印象に残ったお話を箇条書きに。
・「トーマの心臓」の扉絵原画プレゼントが人気をもりあげるためのものだったことはよく知られたことですが、ネガを山本順也編集長が残してくれておいた。
・萩尾先生はいつも最後まで一通りお話を作ってから描かれるけれど、それは「スターレッド」と「バルバラ異界」の2作品を除いて。「スターレッド」は3日前に「描いて」と言われて予告カットを描いたが、お話はそれから。
・萩尾先生は子供の頃よく水野先生のドレスのドレープを描いて真似していたが、あれは線一本でまったく違う身体の線になってしまうので、非常に難しかったこと。
・週刊連載(萩尾先生の週刊誌連載は「トーマの心臓」「百億の夜と千億の昼」が代表的)のときは1週間のうち、6日ネームをやって1日で描いていた。「あと2時間です」と言われると加速装置が入って描けた。一晩で15枚だから1時間1ページ、下絵30分、ペン入れ30分などという無茶な描き方をしていた。
写真撮影はOKでした。お話の間はずっとさまざまな絵が流れていたのですが、レアなものだと一斉にカシャカシャ始まるので、ちょっとうるさいほどでした。撮影OKとは思わずカメラをもっていかなかったのが失敗でした。
今後のお話としては7月のパリのジャパンエキスポの話が出ました。初めて知った方が多いようです...インターネット見てないのかな。拙サイトの告知力では自ずと限界が。
詳細なレポートはこちら。
●図書の家のhaneusagiさんのブログ。:【萩尾望都 『マンガのあなた SFのわたし』出版記念トークショー】レポート前半|レポート後半
みなさんのレポートです。
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