萩尾望都先生と志村洋子先生の対談イベントが開かれました。
2017年4月15日、萩尾望都先生が染色作家の志村洋子先生との対談イベントに登場されました。志村先生が新潮社の雑誌『考える人』に連載していたものをまとめられた著書「色という奇跡」の刊行を記念して、新潮社の倉庫を改築した商業施設「la kagu」にて開かれたイベントです。
記
志村洋子×萩尾望都「色の神秘、キモノを着るという精神の贅沢」
日時:2017年4月15日(土)18:30~20:00
会場:神楽坂 la kagu
染織作家の志村洋子先生と萩尾望都先生が出会われたのは1992年頃。当時萩尾先生は「残酷な神が支配する」の連載を開始した頃で、心理学の勉強をなさっていたのだそうです。そんな中、縁あって参加したシュタイナー研究の第一人者・髙橋巌先生の勉強をする合宿で志村先生と出会われたとのこと。歳も同じでアーティストどうし、気が合ったのでしょう。一緒に韓国旅行に行ったり展示会に行ったりするようになり、親しくおつきあいされているそうです。
今年の1月30日に開催された「朝日賞」贈呈式で着られていたお着物は志村先生の作品です。また、2011年に刊行された志村先生の「志村洋子 染と織の意匠 オペラ」に萩尾先生がエッセイを寄せられています。
志村先生は、お弟子さんが大勢おられる先生らしく、キビキビとお話を進められるのですが、萩尾先生は少しでもわからないことがあると、その場で「ちょっと待って、それは?」と質問を突っ込みます。それで話が脱線して、あちらこあちらに飛んでいましたが、楽しかった。
主に萩尾先生の作品に関するところをピックアップして書きます。
震災後に萩尾先生の「なのはな」が発表されたとき、あまりの早さに驚いたと志村先生がおっしゃって、この作品を描くまでの経緯を話されました。ファンの方ならよくご存じの話です。震災の映像を見てとても気持ちが落ち込んでしまった萩尾先生を作家の長島有先生が呼び出して代々木公園でお花見をしました。その時に放射性物質で汚染された土壌を花できれいに出来るという話を聞き、ちょっと希望が出てきました。予告カットを書かなければならない締切が迫り、編集部に断った上で作品にすることに決めた。普段はネームを見せたりはしないのだが、この時は編集部にネームを見せて了解を得た上で描いた。この当時の自分の希望的な観測で、現地で体験した人たちとは違うけれど、遠くから見て描いたものですとおっしゃっていました。
「プルート夫人」は「なのはな」を描く際に通り一遍の科学知識しかなかったので、放射性物質の歴史を調べた。すると、ラジウムを発見した後、このエネルギーを何かに利用することを思いつき、科学者たちがまるで悪女に魅入られたかのように、どこまでも追求してしまう姿を作品にしてみたとのことでした。
「半神」について萩尾先生は、子供の頃からふたごに憧れていたけれど、大きくなると大変なこともあるのだと思うようになった。「モザイクラセン」に兄弟のふたごが登場するのだけれど、描くところが少なくて2人をくっつけて描いた。そこで最初からくっついてる双子(シャム双生児)のことに気づいて「半神」を描いたそうです。
会場には「色という奇跡」の本に収録されている布が飾られていて、これが1枚1枚違うとのことでした。つまり、1冊ずつすべて違うものが入っているのだそうで、工房でお弟子さん達と1000冊以上作られたそうですが、大変な作業だったことと想像します。
「どんなに緑が濃い植物で染めても葉っぱのような緑は絶対に出なくて、黄色と青を掛け合わせて濃い緑にする」というお話や、「木綿は植物。植物に植物の色は入らない。絹は動物の糸だから植物の色が入る」といった染色のお話も興味深く。中東の平和を願うお二人のお話を伺うにつれ、これは新潮社の文芸誌などで発表されないのかなと思いました。おもしろかったです。
志村先生も萩尾先生ももちろん、お着物です。萩尾先生の方はとても大胆な柄ですが、淡い緑が春らしい。志村先生の方も本当に淡い色の紫が上品な、これもまた春らしいお着物でした。
15日(土)神楽坂・ラカグにて、染織作家・志村洋子さんと漫画家・萩尾望都さんのトークショーが開催されました。 pic.twitter.com/3DteCcruWk
— 芸術新潮 (@G_Shincho) 2017年4月15日